2020年7月14日火曜日

【お茶の間観劇】キーロフ・バレエ団 コンスタンチン・セルゲイエフ版『眠れる森の美女』

1982年収録のキーロフ・バレエ団(現マリインスキー・バレエ団)『眠れる森の美女』を鑑賞いたしました。私の中での眠りの原点の映像です。
今年はチャイコフスキー生誕180年、『眠れる森の美女』初演から130年そして7月14日は原振付マリウス・プティパの命日でございます。
ウィールドンの次はコルパコワへ飛ぶ当ブログの謎な時間感覚はご容赦ください。



我が家にあった、レーザーディスク。幻影の森の場でのこの神秘的な表情、静かに語りかけるようなコルパコワのポーズには今見ても溜息が零れます。


2枚組でしたので見開きは写真集の如き立派な作り。何度じっと眺めたことか。


音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
振付:マリウス・プティパ
演出:コンスタンチン・セルゲイエフ
美術・ 衣装:シモン・ヴィルサラーゼ
演奏:キーロフ歌劇場管弦楽団
指揮:ヴィクトル・フェドトフ
映像監督:エレーナ・マシュレ
収録:1982年11月 キーロフ歌劇場

フロレスタン王:ウラジーミル・ポノマリョフ
王妃:アンジェリーナ・カバロワ
オーロラ姫:イリーナ・コルパコワ
デジレ王子:セルゲイ・ベレジノイ
リラの精:リュボフィ・クナコワ
カラボス:ウラジーミル・ロプホフ
カタラビュート:ゲンナーディ・セリュツキー


コルパコワのオーロラ姫は至極シンプルで余計な装飾がなく、型を厳守して指先から脚先までどのステップもポーズも丹念にコントロールしながら紡ぎ上げ
内面から滲み出る品位や気高さで魅了。この当時49歳だったようですがお若い頃の映像と比較しても益々磨き抜かれた美しさに感嘆するしかなく、
ワガノワ最後の弟子の映像が全幕収録され現在も観ることが可能である幸運に再度喜びを覚えた次第です。
ローズ・アダージオでは序盤、脚を高く上げ過ぎていない点も印象宜しく育ちの良さやゆかしさ慎ましさが一層引き立っていたと見受けます。
(コルパコワ、決して身体が硬いのではない。誤解無きように)ぴたりと180度或いは更に高く上げている方もいますが、身体の柔らかさは伝わるものの
姫の中の姫であるオーロラにしてはお転婆過ぎる印象が先行してしまうと感じております。
1幕よりもむしろ少女らしさがあった2幕幻影の森の場にも見惚れ、薄暗い光を帯びながら神秘的な表情、静かに語りかけるようなポーズに吸い込まれそうになり
絢爛な結婚式場面ではなく、上の写真にもあるようにレーザーディスクのジャケットにも使われた点にも納得がいきました。

ベレジノイのデジレ王子は可もなく不可もなく(失礼)、肩近くまで伸ばした不思議なカールヘアが最大の印象でしたが
キーロフのダンスールノーブルは控えめ、個性出し過ぎるべからずが理想であったのでしょう。
(そうは言っても華やぎと整ったラインが鮮やかであったザクリンスキーは印象にあるのだが。メゼンツェワとの白鳥の湖は我が白鳥の原点かもしれません)
自然と目が行ったのは意外にもセリュツキーのカタラビュート。1980年収録コルパコワ主演のセルゲイエフ版『ライモンダ』にてアブデラフマンを務めていたものの
一昔前の演出とは言えいかんせん濃厚メイクで極悪人な容貌に仕上げ、かといって踊る場面や見せ場もさほどなくスキンヘッド鬘も違和感のある
描き方にやや問題ありきな役止まりでした。しかしこのカタラビュートでは出しゃばり過ぎず、尚且つ思わず目を引く細かな表現でさりげなく見せ、
例えば序盤から姫がすやすや眠っている様子を伝える際にはオーロラ姫の役にとことん入り込み両手を頬の下につけて眠る仕草の真似もわざとらしさ皆無。
1幕ではオーロラ姫の登場から親族!?として心配そうにじっと眺め、周囲がめでたい歓声で溢れていても
生誕祝いの失敗を16年経過後もひきずっているのか緊張度合いが妙な説得力を持たせていました。
思えば1次審査や精査も行ったにもかかわらず生誕祝いでの招待客記名漏れトラブルはなぜ防げなかったのか。
目視のみならず常にシャチハタ持ち歩くなり印鑑必須(現代においては脱印鑑風潮高まっておりますが)であったのか、後のこの宮廷にて教訓が生かされていると願います。

クナコワのリラは優美さよりも強く毅然とした表現で魅せる妖精。背がすらりと高く、研ぎ澄まされた肢体で場を覆う姉御肌な統率力に惚れ惚れいたしました。
勿論高雅さも備え、長い腕の動き1つ1つで何もかもを包み込み導く姿や全身で音楽をたっぷり使ってのソロも印象に刻まれております。
チュチュと長い裾の衣装、両方ともお似合いです。いつの間にか子分たちに輪の中から姿を現す登場シーンが分かりづらいのは難点で
曲調が晴れやかに変わるあたりで堂々と登場させれば良かろうにと毎度思うわけですが、クナコワの存在感ならば問題無し。

そして忘れてはならぬ、高精度な群舞。ただびしっと揃っているだけでなく滑らかで鷹揚とした趣きもあり、更には体型が見事なまでに綺麗。
この頃のソビエトのチュチュは現代よりも短く、また派手な飾り付けも無し。
そのため腰の位置が高く身体が抜群なラインを持っていなければ罰則着用と化すデザインですが
簡素なチュチュがかえって容姿を一層引き立てる効果大で、つまりそれだけ均整のとれたスタイルのダンサー揃いです。
特にプロローグにおけるパ・ド・シスコーダでのリラの精たちの群舞が横1列で一斉に前方へと進んでいく箇所では足並みの揃いっぷりや真っ直ぐ伸びた脚線美に仰天し、
この映像を初めて観た頃の前年あたりの夏に公開された『となりのトトロ』ねこバスを彷彿させたほどでした。

3幕の結婚式は序盤から仰々しい展開で、オーロラ姫と王子は早々に登場し姫はロングドレスをお召しで
そして下手側に移動し、赤頭巾ちゃんや青い鳥たちなど延々と入ってくる笑(セルゲイエフ版は多し)客人をしっかりお出迎え。
近年の演出では最後の最後グラン・パ・ド・ドゥでようやく登場が主流ですが主役は序盤に入場して招待客お出迎えは私がこの版で特に好きな演出の1つでございます。
また宝石たちも早くに登場し、新郎新婦出迎え担当。その際、後ほど踊るときには使わない各々の宝石らしき飾りが先端に付いた棒を掲げながら歩いて位置につく
この流れが何とも幸福を運んでくれる要素大。たった数秒であっても気分が一気に華やぎ光が零れ落ちてきそうな場面です。

美術と衣装はシモン・ヴィルサラーゼ。絢爛ながらも派手で華美な装飾は抑え(宝石のみ光沢押し出しであったが)
きらりと品良く光る具合を大事に徹底した宮廷王朝絵巻とおとぎ話の世界に浸れます。
作品初演バレエ団の誇りを感じさせる古式ゆかしき、色褪せぬ魅力が詰まった公演映像です。

新国立劇場バレエ団でも開場記念公演の1997年10月から2007年2月まで上演を重ねてきたセルゲイエフ版眠りですが私は2005年の1回と2007年の4回、計5回しか目にできず。
当時は感想記を綴っておりませんでしたので、花のワルツが色彩からして違和感及びとうもろこし畑に見えた鬘そのまま使用問題など取り上げていくかもしれません。
今年は初演から130年、『眠れる森の美女』行脚を引き続き行って参りたいとおります。

それはそうと7月14日と言えば歴史を揺るがした一大事の日。フランス革命記念日です。
フランス絶対王政へのオマージュを盛り込み、クラシック・バレエの最高峰として名高いとされる『眠れる森の美女』が代表作であるプティパの命日と
そのフランス王政を滅亡に追い込んだ革命記念日が同じであるのは、単なる偶然とは思うものの功績や歴史の不思議な巡りを感じずにはいられません。




コルパコワの教え子でありセルゲイエフ版眠りのオーロラ姫を幾度も踊ったラリッサ・レジュニナが監修を務めた
今年2月の東京シティ・バレエ団『眠れる森の美女』でも紹介いたしましたが、昭和に出版された我が眠り手引き書。
求婚者たちにリフトされているのがコルパコワです。当時からこれを読みつつ映像を観ておりました。
この本に目を通し、青い鳥や赤ずきんといったバレエにおける眠れる森の美女の特殊な展開、キャラクターの知識を蓄積。
セルゲイエフ版の全容を辿れる書籍です。後半ページにはソビエト(当時)の新鋭からスターダンサーまでが紹介され
コルパコワ、アナニアシヴィリ、アンドリス・リエパ、ベスメルトノワ、ムハメドフ、ルジマトフ、
タランダ、アスイルムラトワといったバレエ史に刻まれる方々を掲載。
うっとり眺めてソビエトバレエを憧憬しておりましたが瞬く間にソ連崩壊。
報道番組が連日赤の広場とゴルバチョフ一色になっていたと記憶しております。



コルパコワ、最近はオンラインでの対談にも度々登場。昔と変わらず、きりっとした佇まいが美しい。アナニアシヴィリとの対談。
(アナニアシヴィリはマラーホフやボッカ、ウヴァーロフ、そしてラブロフスキーなど錚々たる方々と対談。まさに『ニーナの部屋』。



針山愛美さんもインタビュー。

0 件のコメント: