2021年2月4日木曜日

20世期の日中バレエ芸術交流創成期に大貢献しかし行く末が気がかり 松山バレエ団2021新春公演 新『白鳥の湖』1月30日(土)




1月30日(土)、松山バレエ団2021新春公演 新『白鳥の湖』を観て参りました。松山バレエの鑑賞は15年ぶりです。
http://www.matsuyama-ballet.com/newprogram/new_swanlake.html



新『白鳥の湖』紹介動画
オデット/オディール:森下洋子
ジークフリート王子:堀内充


実を申しますと森下さんのオデット/オディールは初鑑賞。脚を上げるのは約30度まで、引き上げも危うく、ポワントで立ち切れていない箇所も多々あり
30年、40年前に観てみたかったとの思いは残りますが、それでもポスターやチラシで目にする写真のようなはっとさせる瞬間も。
白鳥の湖を観に来たのか、森下さん個人を観に来たのか終盤はよく分からぬ状態と化し、周囲からひたすら崇拝されるかの如き別格の存在感は健在でございました。
舞台上では一番シンプルに見えるオディールの黒い衣装姿でありながら、松山バレエ特有の
ボリューム感のある豪奢な衣装の数々に囲まれても埋もれぬオーラには今更ながら驚かされます。

15年前の春に観た『シンデレラ』『ジゼル』では軽やかに踊っていらした印象があり、また昨年春放送の阿川佐和子さん司会の番組『サワコの朝』や
一昨年の中国国立バレエ団来日公演『紅いランタン』(当時の記事はこちら)のロビーにて見かけたパンツスーツをお召しになってのピンと背筋を伸ばした立ち姿、
颯爽と歩く姿も脳裏に残っていただけに、古典全幕での主役を長年しかもオデット/オディール役に関してはアベベが青梅街道を走り、
大松監督率いる東洋の魔女が席巻した1964年の東京五輪がデビューとのことですから
他のダンサーと比較すれば桁が違い過ぎる年月をかけて体力技術を維持し踊り続ける難しさを示されてしまった感は否めません。

ただ、私がバレエ鑑賞を始めた32年前に入手した、『白鳥の湖』に焦点を当てた雑誌のカラーインタビュー記事は今も大事にしており
祈りを捧げるポーズのオデットに、清水哲太郎さんとのパ・ド・ドゥで魅せる蠱惑的なオディールの舞台写真や
稽古場での飾り気のないショットも美しく何度も読み返し見返した記事。念願叶っての鑑賞と言えば聞こえは良いでしょう。
英国の劇場の楽屋の古さや小ささに触れ、まもなくサドラーズウェルズがバーミンガムに移る話題を語っていらして時代の経過を思わずにいられません。

ところで今年舞踊生活70周年を迎えられた森下さんは生涯現役を貫かれるご予定なのか。32年前の記事ではもっと深めたい役であり
オデットは50歳、60歳になっても踊りたいと語っていらっしゃいましたが、70歳を過ぎても踊ることになろうとは当時は想像もできなかったことでしょう。
管理人が決して遠くはない年金受給者(今の財政からすると貰えそうにないが)となっても現役続行をなさっている気すらいたします。

堀内さんは1983年のローザンヌ入賞者で、同年の入賞者で現在新国立劇場舞踊部門の芸術監督を務める吉田都さんと同世代。
正直全盛期をだいぶ経過しているのは認めざるを得ませんが全幕古典にゲスト主演しかも森下さんの相手役を引き受けた寛大さを思えば不満は申せません。
一応湖畔のアダージオや黒鳥グラン・パ・ド・ドゥも披露され、とにもかくにも献身的な王子でした。

音楽はスタンダードな版に比較するとだいぶ異なり、プロローグは白鳥の湖ではないチャイコフスキーの曲が使用されていたり(悲愴かもしれぬ)
舞踏会は民族舞踊無しで、近年は殆ど披露されない花嫁候補達のソロ曲や聴き間違いでなければ女性ヴァリエーションの1本にグラズノフの曲も使用と記憶。
冒頭は黒がかった世界にロットバルトと手下達が毒々しく蠢き、暫くすると明るい庭園へと場面が移行する展開は目を覚ませる効果もあった印象で
分野は異なりますが、ワーグナーのオペラを彷彿とさせる過度に壮大な幕開けでした。

想像はしておりましたが衣装はボリュームがたいそうなもので、模様も色とりどり。団全体の一斉にニカッとする独特の表情作りや
ブルーのアイシャドウ祭りも目にし、ある意味どっぷり堪能できました。

一部辛辣な表現も並べてしまい、松山バレエ団のファンの皆様、関係者の皆様、気を悪くされましたら申し訳ございません。
東京バレエ団も1960年代の設立早々からソビエトを始め海外公演を実現させてはいますが
日中国交正常化以前の1950年代から文化大革命の時期も変わらず中国との交流を続ける松山バレエ団の姿勢と言い、
政情不安に屈さぬ一貫した芸術精神には天晴れです。決して設備の整った劇場のみならず、岩盤をくりぬいて
オーケストラピットを急遽の大工事で設計した延安大礼堂や重慶の農業生産合作社や武漢の工場公演、と
オペラや洋舞の劇場ではない場所でも公演を実現させて賞賛を浴びた功績、行動力には今読み返しても仰け反るばかりです。

話はだいぶ逸れますが、訪中公演での仰天話は昭和の時代に限ったものではなく、のちにハンブルグ・バレエ団や東京バレエ団も経験済みで
現在新国立劇場バレエ団にてプリンシパルを務める米沢唯さんが子供の頃に所属していた塚本洋子バレエスタジオも
中国公演(米沢さんも出演、当時の写真がのちの雑誌クララに掲載。雑誌バレリーナへの道に掲載の集合写真にもご本人らしきお姿あり)を行った際、
床のあちこちに点在する穴に新聞紙を詰めてリノリウムを敷いたり 本番中はこうもりが飛び交っていたりと、
出演者もスタッフもてんてこ舞いな公演であったと記されていました。

※但し、中国で全時代全土でおっかなびっくりな公演であったのでは全く無く、時代の流れと共に変化を見せ、観客のマナーや態度も宜しく、情熱に乗せられて大盛況だった
舞台の記録(Kバレエの上海公演やフランスのキャピトル・バレエの上海や天津公演も会場が大いに沸いたようです)も残っていますので誤解無きように。

話がみるみると明後日の方向へ行きがちですのでこの辺りに。松山バレエ団の中国との交流史にご興味のある方は、
1983年発行の松山バレエ団創設者清水正夫さん著 講談社バレエ『白毛女』はるかな旅をゆく、どうぞお読みください。
どこかの図書館には所蔵されているかもしれませんが、1958年の第1回中国公演から時系列に辿って綴られ、
ひょっとしたら松山バレエ団とは田中角栄さんよりも遥かに打ち解けていたかもしれない周恩来の逸話、
毛沢東による厚遇、文革でクラシック・バレエを中断していた中国の手本にもなっていた時期もあったなど各地での仰天話が事細かに記述されています。

話を戻します。バレエ団について一番の疑問が幹部クラスの多さで、次席副校長が13人、副芸術監督と副芸術総監督の両方のポスト用意とはいかに。
しかも20年30年不変ではと思う方々が勢揃い。バレエその他問わず経営経験の無い者があれやこれや申す資格も無いのは重々承知しておりますが、
昨年クラウドファンディングも行っていたバレエ団の事情を踏まえれば決して資金も潤沢には無いでしょう。独自の伝統、方針があるのかもしれません。
松山バレエ団の行く末が気になるところです。

さて、今年はこのあと春夏に3本『白鳥の湖』鑑賞予定があり、うち2本は東京都外。心待ちにしておりますが、
気になるのは昨年から延期が発表された新国立劇場の新制作ピーター・ライト版『白鳥の湖』。
しかし英国の状況は実に不安が募っており、つい先日には初夏頃に予定されていたイングリッシュ・ナショナル・バレエ団の来日中止も発表。
先にも挙げた、32年前に発売され入手した森下さんへのインタビュー記事にて、ちょうどライト版の『白鳥の湖』『眠れる森の美女』2本を持っての
サドラーズウェルズ(現バーミンガム・ロイヤル)来日中で両公演に主演する大活躍を見せ、そして森下さん清水哲太郎さん選考のグローバル賞を受賞し
松山バレエ学校時代の恩師でもあるお2人に挟まれてにこやかに微笑んで花束を手にした吉田都さんの姿に、心境を察するほかありません。




ドイツ風ジョッキでしみじみ乾杯。

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