2020年4月28日火曜日

エカテリーナ・マクシモワの命日に心寄せたい『アニュータ』

本日は4月28日、ボリショイ・バレエの名花エカテリーナ・マクシモワの命日です。(1939年-2009年)
逝去された日、ちょうどザハーロワが座長を務めるガラ『ザハーロワのすべて』公演時期であったため
会場の東京文化会館でもマクシモワを悼む声があちこちから聞こえてきた光景が思い起こされます。
2年前に綴った記事とだいぶ重なる内容ではございますが、今一度是非ご覧いただきたい映像であるためご容赦ください。

プロフィールにも掲載しておりますが、マクシモワはとても好きなダンサーの1人です。
書籍を通しては『ロミオとジュリエット』舞踏会で接近するロミオにはっと目を向ける姿が印象深いジュリエットや
『スパルタクス』フリーギア、『くるみ割り人形』マーシャ、『ドン・キホーテ』キトリなど
様々な舞台写真を眺める機会は度々ありながら初めて映像で目にし、心を持っていかれたのが今から23年前。
モスクワの赤の広場に特設された野外舞台で行われたガラ公演を収録したエッセンシャル・バレエで見たウラジーミル・ワシリエフと踊る『アニュータ』でした。
当時は原作も全く知らず勿論設定も把握できずな状態だったにも拘らず、高鳴る鼓動が止まらず
これ見よがしな派手な振付も無い、豪華な衣装を纏っているわけでもないパ・ド・ドゥながら
内面から滲み出る情感、そして目線だけでも語り合うパートナーシップにすっかり惹かれ大きな衝撃を受けたのです。
全幕ではまだ鑑賞しておりませんが、チェーホフの原作で家族のために裕福な家へと嫁ぐヒロインの生き様を描いた
『頸にかけたアンナ』を基にワシリエフがマクシモワに振り付けた作品で
音楽はヴァレリー・ガヴリーリンが手がけ、数々の郷愁感漂う曲で構成されています。
(以前知人に話したところ宇宙飛行士のガガーリンと間違えられてしまった。地球の青さを表現した言葉は名言であるとは思うが)

マクシモワのインタビューによれば最初にバレエ映画として制作されましたが、映画版を観た
ナポリのサンカルロ劇場のバレエ団から上演希望の依頼があり、初演はボリショイ劇場ではなくサンカルロ・バレエだったとのこと。
ボリショイではバレエ団がツアーで出払っている状況下であっても上演可能な作品という理由から上演に繋がったそうです。
ボリショイのレパートリーとして近年も上演されていますが1992年には東京にて上演されマクシモワがご出演。
1998年には現在東京バレエ団芸術監督を務める斎藤友佳理さんがマクシモワの手ほどきを受け
チェラービンスク国立オペラ・バレエ劇場に客演しタイトルロールを踊られました。
2000年には世界バレエフェスティバルでセルゲイ・フィーリンとパ・ド・ドゥを披露。
1992年のマクシモワ本人主演の舞台、そして例え抜粋であっても日本でこの作品を直で観るまたとない機会でありながら
斎藤さんペアによる世界バレエフェスティバルの舞台を見逃してしまい後悔しております。

『グラン・パ・クラシック』や『タランテラ』といった独立した作品や『海賊』や『ダイアナとアクティオン』など抜粋上演がすっかり定着している作品を除いては
ガラではなく極力全幕の中で鑑賞したいと思うものの、『アニュータ』のパ・ド・ドゥに限っては
勿論全幕もそれはそれは心に突き刺さる舞台であると想像できますがエッセンシャル・バレエの映像が格別。
刻々と日が落ちて薄暗くなっていく赤の広場の情景と光が灯された聖ワシリー寺院が映し出され、
荘厳な鐘が鳴り響く余韻に溶け込むようにしてマクシモワが登場。旅愁に一層誘われるのです。
また1992年の収録当時はソ連崩壊から5年も経っていない頃でまだまだロシアのバレエ熱が今以上に凄まじかったのでしょう。
観客の熱狂ぶりも見所、加えてこれぞロシアと唸らせる爆音祭りで盛り立てるモスクワ放送交響楽団の演奏も聴きどころです。

当ブログ、公式配信ではない動画は基本載せない方針ではございますがこれ以上の文字での説明は難しく、この映像は是非ご覧いただきたいため紹介いたします。
2つのパ・ド・ドゥを繋げて踊られていますが、特に前半のワルツが何とも哀切且つ劇的な曲調で
マクシモワとワシリエフが互いに寄り添いながら醸す情感の豊かさに心を揺さぶられます。
このワルツが好きな余り、繰り返し聴きたいと会議録音用の機械を借りてテレビのスピーカー付近に置き
カセットテープに録音する荒業まで行っていた管理人のオタク精神はさておき
パ・ド・ドゥで大事であるのは基本的な技術があるのは大前提として2人が気持ちを通わせ感じ合うこと
身体全体で語りかけることであると話していた約20年前のインタビューがそのまま重なり
好きなパ・ド・ドゥを聞かれ、私と同様この作品を即答なさる方が都内に5人でもいらしたら幸いでございます。





マクシモワの話で思い出すのは、2000年頃に日本の週刊誌にて掲載された記事「過熱するおバレエ」。
(その頃子供の受験を巡る痛ましい事件があり、皮肉ったタイトルを記者か編集者が付けたと思われる)
日本における、一部の教室で行われている早過ぎるトゥ・シューズ許可や余りに難しいテクニックを押し込んでのコンクール出場など
危険な指導方針に警鐘を鳴らしていたこと。「子供に無理のない教育を」と必死に訴えていた内容は今も覚えております。
あれから約20年が経過し、医療も発達して格段に素早い情報収集も可能な時代に移りましたが
コンクール数は町興し状態と見紛うほどに増加傾向にある現在の日本のバレエ事情をご覧になったらどういった指摘をされるのか気になるところです。

※赤の広場野外コンサートでもう1本紹介したい映像があり、来月上旬に綴って参る予定でおります。

2 件のコメント:

aruyaranaiyara さんのコメント...

アニュータのレポート楽しく拝読いたしました。
最近観た東パのドキュメンタリー映像で、ワシリエフさんとの関係が気になってましたが。
斎藤さんと踊られてたのですね。納得!
マクシモワとの良い感じのPddも心地良かったです。
赤の野外コンサートのもう一本も期待してます。

管理人 さんのコメント...

aruyaranaiyara様

こんばんは。他のブログの管理人様の方々と異なり旬の動画配信鑑賞記ではなく
20年以上前の映像掘り起こし日記な記事をお読みいただきありがとうございました。
一度目にした瞬間から心惹かれてやまず、国の象徴でもある赤の広場の特設舞台で踊られた映像が
残っている点も嬉しく、何度見ても胸を揺さぶられます。
マクシモワとワシリエフの黄金のパートナーシップなパドドゥも忘れられません。
東京バレエ団のドンキがワシリエフさん版で、斎藤さんと一緒に熱心に指導されていた記事が
ダンスマガジン始め様々な媒体で紹介されていた覚えがあります。

ありがとうございます。赤の広場コンサートのもう1本、
その映像に対する長年の疑問投げかけもあるかと思いますが
今暫くお待ちくださいませ。