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2024年11月11日月曜日
喜怒哀楽の襞をも描き切る選曲 シュツットガルト・バレエ団『オネーギン』11月4日(月祝)
順番前後いたしますが11月4日(月祝)、シュツットガルト・バレエ団『オネーギン』を観て参りました。シュツットガルトの『オネーギン』全幕鑑賞は9年ぶりです。
https://www.nbs.or.jp/stages/2024/stuttgart/onegin.html
宣伝映像
※キャスト等はNBSホームページより
アレクサンドル・プーシキンの韻文小説に基づくジョン・クランコによるバレエ
振付: ジョン・クランコ
音楽: ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
編曲: クルト=ハインツ・シュトルツェ
装置・衣裳: ユルゲン・ローゼ
世界初演:1965年4月13日、シュツットガルト・バレエ団
改訂版初演:1967年10月27日、シュツットガルト・バレエ団
オネーギン:マルティ・パイジャ
レンスキー(オネーギンの友人):ヘンリック・エリクソン
ラーリナ夫人(未亡人):ソニア・サンティアゴ
タチヤーナ(ラーリナ夫人の娘):ロシオ・アレマン
オリガ(ラーリナ夫人の娘):ヴェロニカ・ヴェルテリッチ
彼女たちの乳母:マグダレナ・ジンギレフスカ
グレーミン公爵(ラーリナ家の友人):クリーメンス・フルーリッヒ
近所の人々、ラーリナ夫人の親戚たち、 サンクトペテルブルクのグレーミン公爵の客人たち:シュツットガルト・バレエ団
指揮:ヴォルフガング・ハインツ
演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
協力:東京バレエ学校
フォーゲルやバデネスは出演しない、失礼ながら出演者は誰一人存じ上げず若手中心配役ながら
強いエネルギーが集中して見応えあり、パイシャとアレマンのまだ青いからこその
まっしぐらなドラマ描写、パ・ド・ドゥの痛烈な情感といい鑑賞後は放心状態になりました。
アレマンのタチヤーナは床に伏せて読書に耽る姿や横顔のそこだけに靄がかかっているかのような空想真っ只中の脳内が表れていておっとりした行動も慎ましい。
本を持ったままオロオロするも、椅子に腰掛け再び読書に戻るのもナチュラルで所作も美しく、育ちの良さが窺えます。
オネーギンとの出会いはすぐさま雷光に打たれたのではなく謎めいた風貌に戸惑い衝動を抑えながらも惹かれて行く様子を丹念に表現。
3幕は公爵夫人として現れると振る舞いに節度はありつつも誇り高さを内側から放っていて、決意に満ち毅然とした視線にもぞくっとさせられました。
パイジャのオネーギンはツンとして冷淡な風貌で登場。タチヤーナに対して過剰に嘲笑うこともなく
ゆったりとした顔の動かし方から住む世界が違うと言わんばかりの無言の圧力をかけていた印象です。
クランコ版におけるオネーギン名物であろう、本人を目の前にして見せつけるタチヤーナからの手紙破りも
残酷極まりない行為ながら、若さゆえの容赦ない見せつけなのか思考回路が気になる姿でした。(タチヤーナが可哀想であるのは変わらないが)
3幕、公爵夫人となったタチヤーナに対しては後悔や悲しみよりも理解できぬ苛立ちをも募らせていて、自業自得ではあるはずなのだが
オネーギンの捻くれた性格は不変と感じて不自然さは無し。
アレマンのタチヤーナが涙目になりつつも気高く突っぱねる強さが入り乱れていただけに、
年齢は重ねてもオネーギンの傲慢さや幼稚さが最後まであとを引く幕切れでした。
エリクソンのレンスキーはまさに若い、オリガとは睦まじい仲であり、純真無垢で青春真っ盛りそうな青年でオネーギンとは正反対の太陽のような笑みで行動。
その分怒ると噴火が止まらず、オネーギンからの挑発に一瞬で激情に駆られる様子は別人のような変わりようでした。
ヴェルテリッチのオリガは華々しい愛らしさ満開。多少軽率な発言しても許されてしまいそうな愛嬌といい憎めぬ魅力が備わっていて
レンスキーと愛し合う関係であってもちょこっと調子に乗ってオネーギンとの仲を強調する行動にも頷けます。
何と言っても音楽の構成が秀逸で、些細な感情や喜怒哀楽の奥に潜む襞をも音楽が完璧に描き切る選曲の妙が光り
何度観てもこの作品のために書き下ろしたとしか思えず。オペラの『オネーギン』以外の曲からの貼り合わせとは到底信じ難い構成です。
帝政ロシア下の華麗さの陰での人間関係の歪みが覆う何度観ても迫りくる作品でございます。
ガラでもお馴染みなパ・ド・ドゥも、とりわけ鏡のパ・ド・ドゥはタチヤーナの手紙執筆における抑えられぬ恋心と、
オネーギン出現の妖しさが密に絡まってなんとも言えぬ情感が沸騰。現実では冷たくぶっきらぼうな(笑)オネーギンが、夢の中では優しく紳士的な面と、徐々に露わになっていく危うさへの膨らみをタチヤーナにこれでもかと見せていくわけで
またタチヤーナからすれば夢を超越した、単なるときめきに終わらぬ摩訶不思議体験でしょう。
首筋への口づけ等、官能の雨を降らせていくオネーギンの魅力に益々取り憑かれていく弄るような凄まじさをも音楽が緻密に饒舌に語り、
吸い上がるようなリフトを維持したままでの移動もスリリングな恋を一層雄弁に描写していて、振付と音楽、感情の一体化が見事とこの度も膝を打ちました。
ガラではよく目にするパドドゥですが、寝たふりをしながらの乳母とのコミカルなやりとりの後に観ると
タチヤーナへの感情移入も気持ち良くできて、全幕で観る幸運に特に感じ入った場面です。
2幕での、オネーギンによるオリガとの仲のアピールからレンスキーの嫉妬を煽り、タチヤーナは不安の沼に落ちていく下りも、
音楽の一音一音が軽薄さや心の痛みをそのまま台詞にして発し、会話しているような流れで、遂にレンスキー激昂な展開もごく自然に映りました。
チャイコフスキーの様々な楽曲から成る全幕バレエは何本もあり、私が観た中でもエイフマン版『アンナ・カレーニナ』やマクミラン『アナスタシア』、
バレエシャンブルウエストの『タチヤーナ』といくつも思い浮かびますが、場面ごとの余韻を持ち越すような自然な繋げ方といい
全人物の心情を細やかに汲み取るような選曲といい『オネーギン』は別次元な完成度の高さであると捉えております。
ユルゲン・ローゼによる繊細で抑えた色彩美の衣装美術、舞踏会の優美な内装も注目。目を凝らして双眼鏡押し当てて細部に至るまで観察し、だいぶ年季も入っていそうですが大事に踊り継いできたからこそ滲む長年の伝統をも思わせ、一層大切に目に胸に保っておきたい衣装の数々です。
カーテンのレース模様の緻密さや、3幕邸宅での舞踏会場面の美術は一見色が濃厚であってもキツさはなく、あくまで上品な色合い。
幕が開いた瞬間、衣装や装置の余りの華麗なる並びから歴史映画を眺めている心持ちになりました。
今回の『オネーギン』日程は全て新国立劇場バレエ団『眠れる森の美女』と重なり、しかし2018年公演においても新国立の『不思議の国のアリス』
そして私の場合京都バレエ団公演『屏風』『京の四季』の鑑賞とも被っていたため鑑賞を断念。しかし今年こそは欲望がまさり、新国立眠り千秋楽はお預けにして
上野における3日間限定帝都ペテルブルク最終日へと参りました。結果、大正解。
勿論眠り大千秋楽に居合わせたい気持ちもあったものの元々好きな作品である『オネーギン』全幕を本家本元による上演での鑑賞は格別なもので
会場で会った方々や鑑賞後に友人と合流するために出向いた初台駅改札口やオペラシティで遭遇した
新国立常連の方々からも、1回は上野に行くであろうと思ったと言われたほどです。
行くなら『椿姫』より『オネーギン』であろうと私の好みの予測も容易についたらしい笑。
しっとり静けさ湛えたショパンより、華麗で劇的で郷愁感を誘うチャイコフスキー音楽に聴き惚れている点も当たっております。
それから記憶から遠ざかり驚きを覚えたのは上演時間の短さ。全3幕構成の休憩2回込みで2時間15分で、
1幕3幕終盤で披露される要となるガラでもお馴染みなパ・ド・ドゥへの辿り着きも早い!
例えば全2幕の『ジゼル』、『くるみ割り人形』もトータルの上演時間は2時間弱ですから
ひょっとしたら数ある全幕バレエの中で休憩を抜いた上演時間は一番短いのではと思います。とにかく幕ごとにぎゅっと凝縮していてダレる箇所が一切無いのです。
群舞の見せ場や配し方も工夫がなされ、主要人物達の崩れ行く人間関係をハラハラ見つめつつも進行する2幕の舞踏会といい
時間軸戻って1幕中盤は村人達の群舞が主役ともいえる見所もあり、すっかりオネーギン名物となった舞台袖から反対側へ男女ペアで突っ切る疾走感は何度観ても胸躍る場面ですし、
ここの躍動感があるからこそタチヤーナとオネーギンの不思議な関係性が更に引き立っていくと思わせます。
シュツットガルト通な方の中にはもう飽きてしまっている観客もいらっしゃるかもしれませんが
私としては振付、選曲、構成どの要素も噛み合って完成度が高い『オネーギン』上演は誠に喜ばしうございました。今もまだ音楽の脳内再生が止まらずにおります。
パイジャとアレマンのペアにとても満足している一方、フォーゲルのオネーギンも観てみたかった興味は消えず。
舞踊生命は長そうな予感はするものの、この先まだチャンスはあるでしょうか。
幕間に、赤ワインと新宿中村屋のピロシキ。先日待ち合わせで中村屋の地下入口前へ行ったとき目に留まり、購買欲を刺激。エッグタルトも美味しそうであった。
中身の写真撮りそびれましたがピクルスが蓋のように刺さっていて、口直しにもちょうど良しです。
解説。ロシアの詩人ワシリー・エロシェンコと中村屋の創業者のご縁が関係しているそうです。キャベツたっぷりで、後味もしつこくなく美味しくいただきました。
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