2023年9月24日日曜日

グラン・パ・クラシックの惨事と奇跡





※以下、特に前半は明るい前向きな内容は薄めでございます。閲覧注意願います。

3週間程前に触れました、私が12歳のときに引き起こしたグラン・パ・クラシックの惨事の話でございます。
太古の昔、やる気や情熱はさておきまだバレエを習う子供であった小学校6年の後半から初夏に行う勉強会の練習が始まりました。
5人か6人であったか、同年代の女子数名が集められての振り写しのとき、先生が題名を『グラン・パ・クラシック』と仰りすぐさま開始。
題名の響きからして、過去に発表会で取り入れた作品でもあるため『ライモンダ』3幕を改変したものをやるかと思いきや
冒頭の部分からして躍動しながら登場してくる振付と違うのは明らかで、これは『ライモンダ』ではないとまず確信。
続いて先生、皆が登場して位置についたところから始まる部分、つまりはアダージオの部分を歌って説明なさろうとするも「うう歌えない」と本音がポロリ。
いざ音楽をかけてみると、こりゃ先生でも歌えないほどなのだから私達にも分かるわけがないと、ホルンの主旋律に口あんぐりだったのでした。
バレエナウさん、修子バレエさんでも触れたように歌えない上にカウントが取りにくいと綴ったこの旋律、
12歳の時点で私の中では「ポーポーパーポー」の擬態語で片付ける宿命となったのは皮肉なものです。
またもう1つ引っ掛かったのは「ホルン」であった点。何じゃそりゃと思われる方が大半でしょうが
登場時はシャンデリアに光が一気に灯されるかの如く瞬時に宮廷を思わすゴージャスで重厚な曲調ながら、
登場して以降は一変してホルンのポーポーパーポーに悩まされたのです。
当時の私の中のホルンの曲やイメージといえば牧歌的な風景で、『サウンド・オブ・ミュージック』冒頭の霧に包まれた山々の中から現れるマリア先生や
『ジゼル』での狩猟の角笛、奈良の鹿寄せ等、どう考えても宮廷には結び付かず
アントレとアダージオ部分の落差があり過ぎると考えた挙句グランパにおいては居場所不明な状態に陥ったわけです。
加えて当時の世相も反映して、その頃雲を題材にしたある曲が流行しており、具体的に申し上げると世代がばれますので伏せますが笑、黛ジュンさんの『雲にのりたい』ではありません。
それはさておきマリア先生の影響もあってホルンの曲調から流れ行く雲が益々浮かんでは消えず、
おまけに後にも述べますが、バレエである以上避けられない容姿の晒しは現在よりも体重も重く肥えていた上にやる気もない、見苦しい醜い姿であった私には
苦痛極まりなくいよいよ頂点に達し、風に吹かれて消えていきたいのは自身であると度々ぼやいていたものです。

それはそうとアダージオの部分が終わると次の曲、グラン・パ・ド・ドゥにおいては男性ヴァリエーションが始まりますが
その場で私含めて確か2人残り、他の生徒達は一旦退散し開始。そうです、私はグランパ男性ヴァリエーションの「曲」で踊ったことがあるのです。
今思えば、女性、女子ではだいぶ稀な例でしょう。勿論振付は全く異なり、されど音楽に耳を傾けつつ本来の振付はここはヒュルヒュル浮遊しながらの回転であろう等と
巡っていた想像は概ね当たっていたと後年になって判明するも、当時は振り写しにおいて違和感を募らせていたのは事実でございます。
先生の指導を素直に受け止めれば良いものを、本来の振付と擦り合わせようと試みてしまう捻くれた12歳でございました。
話が前後いたしますが、物語性がなくグラン・パ・ド・ドゥ形式で1本の作品として成立している『グラン・パ・クラシック』の存在は
作品案内書籍を通して当時から把握はしておりました。音楽からしてアントレ、アダージオ、ヴァリエーション、コーダそれぞれの位置づけはすぐさま分かったものの
しかし振付を知らずにいたのは幸いで、もし知っていたら、ガラ等生の舞台で既に鑑賞していたら
本来の振付が延々と脳裏を過っていたでしょうし特に男性ヴァリエーション部分においては本来とは異なる性別者が踊ることになったわけですから
一層混乱していたに違いありません。また振付、曲調からしてもスター級のスターが踊るに相応しい作品ですから
いくら改変したとはいえ私のような者には不似合いであろうと辞退を申し出ていた可能性も大。
このときばかりは無知であったのは幸いな方向に働いていたかもしれません。
そうでした、全然違うとは言っても男性ヴァリエーションのある一部分 のみ本来の振付をやや踏襲した箇所もあり
終盤の垂直にアントルシャをたくさん行う寸前のピルエット辺りはよく似たことを私もやっていたかと記憶。
但し出来栄えについては永久に聞かんといてください。抹消したい汗。
女性ヴァリエーション部分は私は出番なく、2人バージョンに変わり、振付は片脚でスパスパと突き進む箇所始め本来のものと似たところ多かったかと思います。

さてお次はコーダ。本来は男性がヒュンヒュンと飛翔する鳥の如く跳びながら進んで行くところを
私は現在以上にズンドコズンドコアラベスクのまま斜めに前進し、男性がふわっと跳び上がって開脚回転しながら上手前に出てくるところは
四角形フォーメーションでパ・ド・ブレか何かしていたか。そして女性がフェッテするところで人数加わり(確か女性ヴァリエーション踊った2人)全員で前進しながら回転していたはず。
つまりは私は、出来損ないにも拘らず本来のパ・ド・ドゥ形式のグランパを踊るお2人よりも出番が多く
原振付者からしたら烈火な怒りを食らっていたのは容易に想像できます。ああ記憶から抹消したい。

衣装は教室の中ではネタ世代に属し(やる気ない、醜い、レベル最下層とマイナス要素3点盛りな私でしたから納得はしておりました。巻き添えになった同級生達、許しておくれい)
先生が振り付けたやや変わった作品においてドリフもびっくりな衣装も時には着用していた私にしては随分と珍しい類な、
クラシック・チュチュが回ってきましてヌレエフ版ドン・キホーテのようなはっきりとした縁取りでピンクを基調にしたお洒落なデザイン。
余りの珍しさにもしやこれで餞別つまりは退会催促かとも思いつつ、現在よりも肥えた重たい身体でもどうにか着用し、見苦しくも時間は自然と過ぎましたから無事終了。
幕末以降の時代にも拘らず幸いにして写真や映像が一切残っておらず、そもそも発表後に生徒同士や観に来てくれた友人と撮る習慣が全くなかったのは良かったのか
私の場合は衣装や舞台メイク施した容姿に一段と嫌気が差しておりましたから、早う着替えて帰宅したい気持ちが前に出ていたせいもあるとは思いますが
現代のようにスマートフォンで手軽に撮影してSNS投稿、拡散の時代に子供時代を迎えていなかったのは今にして思えば幸運でございました。
もし写真や映像を発掘したら、共演者の中には某有名音楽劇にて主演を射止めた人もいましたから焼却処分まではいかずとも、自身の部分はぼかし処理は必須。
犯罪者のように見えるでしょうが、犯罪級にバレエを冒涜していたと当時は思っておりましたからちょうど良いか。

時代は大不況となり(オイルショックではないが)、学業もだいぶ危うかった私が公立に進学しないと家計も非常に傾きそう云々な様子な親の会話を小耳にも挟み
そもそも習い始めた頃から鑑賞や関連書籍閲覧を好んでおりましたから退会催促の有無問わず
バレエを習うのはグランパでお終いするつもりでおりましたので、教室はあっさり退会。
親も何処か安堵しており、ただ妹がまだ習っており、親同伴では行かず先生への挨拶も1人で伺うと
先生はちょびっと残念そうでいらっしゃいましたがやる気のない生徒を引き留めても仕方ないと思われたでしょうし
先生からも以前皆の前で、昔はもっと続けてみないかとも声をかけたりしていたが今はそうはしない方針とも仰っていましたからその通りでした。
現在のことはさておき12歳後半にして晴れて鑑賞専門となった管理人。習っていた子供の頃としてはグランパが最後に踊ったクラシック・バレエの作品となりました。

切り替えは早く、衣装返却や挨拶を済ませたところで、自転車に乗って早々に帰途へ。さあ念願の鑑賞専門となったからには
習っていたときに出来なかったことをしようと考えが巡り、直近に踊った作品であったためかすぐさまグランパについて知りたいと欲が募りました。
特に男性ヴァリエーションと思わしき部分はいったい本来はどんな振付か、気になって仕方なかったものの当時は動画サイトなんぞ存在せず、
生で観る以外はパドドゥ舞台映像集或いはガラでの舞台写真から想像を膨らますしかなかったのです。
ただ持ち得ていた知識や音楽、目にした僅かな舞台写真からして、ここぞとばかりに華麗な技巧を繰り出し、物語がないため誤魔化しは一切許されない格式ある作品で
踊れるのは特別な地位にいる人達に限られるのであろうと想像はできました。
世界初演地域や音楽からしてロシア圏の方々よりもヨーロッパ圏特にパリ・オペラ座のダンサーが華々しく披露していそうな予想も脳内を駆け
殊に音楽だけなら自身も踊った男性ヴァリエーションは、観るならこの人!と思える方で、
フランスの流派が身体に染み込んでいる且つ高貴な雰囲気備えた美しい人で観たいなあと
ちゃらちゃら系は論外で、派手過ぎずされど上品な華が香るお人で観たいなあとそんな細かな条件が奇跡的に揃っている人現れるんか?と半ば信じずにいたわけですが
長年生きていると人生何が起こるか分からないものです笑。12歳当時の管理人は自転車を漕ぎながらの自宅への道中、理想や憧れ、欲求が止まらずにおりました。
そのとき歴史が動くまで、まだ◯◯年かかる頃でございました笑。
結局グランパを生で初めて観たのはいつの舞台であったか記憶は定かではありませんが、
2023年以前の舞台で強烈な印象にあるのはボリショイ&マリインスキー合同ガラにおけるマリインスキーのヴィクトリア・テリョーシキナ。
貫禄と気風の良さ、曇りないポーズの数々に痺れ、惚れ惚れした記憶がございます。

さて男性はと言うと、12歳から◯◯年後、更に◯◯年後と合わせて私の中では現在地球上二大貴公子状態にある誠に幸せな日々を過ごしておりますが
残念ながら山本隆之さんで生で拝見する機会がこれまでなく、新国立入団前頃の
関西を拠点に活動されていた時期の舞台ではアダージオ写真は書籍で目にしたことはございます。
そしてそのとき歴史が動くまであともう少し、次に現れた渡邊さんは12歳当時の私が思い描いたグランパ男性の理想の結晶で
身勝手に並べていた細かな我儘条件を全て満たしていらっしゃり、いつか披露される舞台にお目にかかりたいと期待を向けてきたのでした。
また時間軸戻って今から25年前の頃、日本のバレエ黎明期についての連載や書籍発行が相次ぎ目を通す中で、グランパの日本初演男性は関直人さんと知り
関さんといえば福島県白河市で映画館を営むご両親のもとで育ち、地元から東京へ白鳥の湖を観に行って大感激してバレエの道へ進むと決意した経緯や
学徒動員で神奈川での日々や引き揚げのときの様子など大変詳しいインタビューも掲載され、その記事の中にグランパ初演での跳躍の1枚がありました。
ですから尚のこと、我が細かな条件を全部網羅且つ同地域ご出身の渡邊さんで生きているうちに必ずや観たいと、かれこれここ6年は願望を強めていたわけです。
2018年には新国立劇場バレエ団ニューイヤー・バレエで初上演の機会があったものの残念ながら配役されず。外部のガラか発表会か、望みは持ち続けておりました。

そして年月が過ぎ、ついにその時歴史が動く瞬間がやって参りました。2023年8月23日、東府中で開催されたバレエナウさん発表会にてお目にかかる機会が到来したのです。
12歳での我がグランパ大惨事からかれこれ◯◯年が過ぎておりました。
いざ始まると、バレエナウさん発表会感想でも述べたように高難度な振付であっても技術強調大会にならず
アダージオでもコーダでも品位ある語り合いが伝わってくる2人で1つな一体感や、ポーズの僅かなタイミング、余韻までもが自然と合って調和にもニンマリ。
特にアダージョのホルン主旋律の部分はホワホワした曲調でカウントが取りにくく
されどその中で呼吸の合ったポーズやステップを繰り出して音が余る或いは足りない事態にもならずしかるべき箇所でストンと着陸する心地良さをも感じさせました。
またもう1点驚かされたのは、物語がない分、加えて音楽が重厚華麗で技術や品格がよほど十二分に備わってしないと成立困難な作品ながら
コンクール入賞歴からするとまだ中学生くらいのご年齢、つまりはあの当時の私とそう変わらぬ年齢の生徒さんが
品良く美しく格式高く、新国プリンシパルの渡邊さんとの釣り合いもぴったりに踊っていたこと。本当に天晴れでございました。
渡邊さんでずっと拝見したいと思っていた作品の1つにようやく居合わせたことに加え
偶々ではあっても共演者の生徒さんが、グランパ大惨事をやらかした当時の私と同世代なご年齢であったため、喜び一辺倒のみならず不思議な感情が沸いてきたのも事実。
そして遂にあの男性ヴァリエーション。跳躍の方向転換や滞空ふわりな軌跡を拝んで崇めて眺められて、ようやく願いが叶った気分でおりました。
男性が1人で行う箇所を女子である私が何故だかやる羽目になってしまい、中途半端な作品知識を持っていたゆえに違和感を覚えながら踊っていた当時の自分に、
長い年月を要したがやっとこの人!と思える人で、教室を退会したその日の帰り道につらつらと並べた
我儘な理想、条件を全て満たすダンサーで鑑賞できた吉報を伝えたいと思ったものです。

そしてグランパの奇跡は立て続けに起こり、再び歴史が動いた今度は2023年9月3日、東京都小平市にて修子バレエアカデミーさんの1stスタディガラにて再び渡邊さんで拝見。
今度のパートナーは主宰の田山修子さんで美しい長身ペアなグランパでございました。
スタジオの主宰者、舞台の主催者として舞台の企画構成や生徒さん達の指導に本番直前まで膨大なエネルギーを注がれ
本番中も神経をすり減らしながら見守っていらしていたであろう田山さんが前半やや強張った表情をなさっていた中
女王に恭しくにこやかにお仕えする渡邊さんの忠臣なお姿で尽くすお力によって田山さんも自然と柔らかさが見えてきて、
それはそれは格調あるパ・ド・ドゥと化した印象を抱いております。
男性ヴァリエーションもより一層厚みや勢い、王者な風格も増していらして技巧で語り尽くす美に感嘆。
本来はこういう地位にあるお方にこそ似つかわしい音楽であると再確認いたしました。
加えてプロフィールによれば田山さんは私の親族の大学の後輩にあたり、その親族は学生時代は小平市内在住で世代は全く違えど嬉しさも一段と上昇。
トンジョの会報、今もよく郵送物として届いており、実は修子バレエさんの感想が書き上がった日も、会報到着日だったのです。
とにもかくにも、2ヶ月連続で渡邊さんによるグランパを拝見できた歓喜は今も心に残り続けております。

また時間軸戻って、私が教室退会から数ヶ月後に女子生徒のみグランパは再演があり、今度は客席から鑑賞する立場になったとき。
妙に整っていて綺麗に纏まっている印象を持ち、決定的理由は何か探ってみるとこれ1つ。

「私が不在だからだ」

少々ハプニングはあれど、そう歳月も経過していない再演の出来栄えに拍手を送ると同時に
その数ヶ月前に1人、やる気もなければ醜く見苦しい12歳の管理人が鑑賞専門となるために去ったお稽古バレエ界に輝くような未来、希望の光が見えた瞬間でした。
更にはこれまた偶然なのか、遡れば大久保利通や伊藤博文の提唱が構想着手起点のきっかけとの記述もある西洋舞台芸術専用の大きな劇場が紆余曲折を経てようやく開場。
東京文化会館か否かはご想像にお任せいたしますが、帝国劇場ではございません。念のため。
それそうと、その劇場開場は退会の時期や私が去ることで光り輝く未来が見えたお稽古バレエ界の現実を客席で感じたときと同年の出来事でしたから、
鑑賞専門移行者ようこそといずれは導かれる劇場であろうと意識が働いたのは、必然であったのかもしれません。

現在はと申しますと、何年か前からは鑑賞専門から鑑賞中心に変わっておりますが、このまま年老いるまで(もう老いているか汗)この生活様式を貫いていくであろうと思っております。
全身晒しての美しさを求められる芸術の実技なんぞ本当は自身には似合うはずもないとは昔も今も感じているものの、
年齢を重ねた現在のほうがレッスン回数運動回数は激減しているにも拘らず疲れぬ身体となり、開き直った部分もあるのかもしれません。あとは、講師マジックでしょう。


※上の画像、好きなコーヒーの種類の1つ、猿田彦クラシック。パ・ド・ドゥと記された コーヒーカップは昔から愛用しております。




ついでにこちらの写真も。東京駅で夜行バスを待つ間に見つけた静岡銘菓こっこちゃんのパリ仕様版。エレガントで粋な、芸術家こっこちゃんです。



白河と言えば今年も行って参りました。初めて平日に到着。
昨年現地で購入し、今年は予めトリコロールリボン(昨年京都バレエ団鑑賞帰りに購入したお土産に巻かれていた)を付けた
しらかわんとホームにて、宿泊先に向かって記念撮影。鑑賞感想は後日綴って参ります。
そういえば、その時歴史が動いたのナレーションを務めていらした松平定知アナウンサーはご名字からして松平定信公に所縁あるお方なのか、気になりました。

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