2024年1月25日木曜日

清泉女子大学ラファエラ・アカデミア バレエへの招待 最終回





順番が前後いたしますが、1月20日(土)清泉女子大学ラファエラ・アカデミア  守山実花先生が講師を務めるバレエ鑑賞講座「バレエへの招待」が最終回を迎えました。
https://rafaela.seisen-u.ac.jp/lecture/detail.php?lecturecd=20232003


この講座に限らず、清泉女子大学の生涯学習講座ラファエラ全てが休止となり、まことに寂しいばかり。
語学や美術、歴史など様々なテーマに沿った講座が用意され、大人が学ぶ場所として重宝されてきたと思うのですが。
また学び始めに年齢は関係なく、現役で通う大学生は20歳前後の若年世代が大半かもしれませんが
(そうはいっても近年は益々、年齢を重ねてからやはり学びたい意欲が増して大学に入学するケースもよく聞きます)
大学での通常授業とは異なる形で用意し、そして学びの場へ年齢性別問わず集うことは大変重要と感じてきたのですが。
特にバレエへの招待は全講座の中でも最長な講座で、世間で騒がれていた2000年問題を無事切り抜けた
2000年春に開講ですから25年目、つまりは四半世紀目に突入するところでした。
1人の先生が受け持つ生涯学習講座としては珍しいくらいの長く続く講座でしょう。
バレエ鑑賞や作品の歴史について肩肘張らずに色々知りたい、守山先生の話を聞きたい、
初心者でも通いやすいところに行きたい、オタク気質だけれども受け入れて欲しい云々
目的も鑑賞経歴や好みもバラバラな人々が入れ替えはあれどずっと集い続けていたからこそ
何より先生の慕われるお人柄が人を呼び込み結果として25年目に入る長期寿命講座となっていたのでしょう。
私は2013年からの受講ですから昨年でちょうど10年でした。もう鑑賞はそこそこしていたつもりではあっても
なかなか縁のない作品やダンサー、作曲家についての知識が増え、好きなバレエ団はあれど、
団問わず国内外問わずひとまず何でも観に行く傾向姿勢になったのはラファエラの影響が大きかったのは1つの理由です。
それからここに記すのは初かもしれませんが、新国立の渡邊さんの虜になって最初に打ち明けたのは守山先生でした。
忘れもしない2017年1月の谷桃子バレエ団『ドン・キホーテ』での幕間で、恐る恐る切り出した上に
『(ベラルビ版)美女と野獣、買ってしまいました』『まもなく(ベラルビ版)海賊も購入予定です』と、男性ダンサーに関しては12年間一筋であった私の大変化を
最初に打ち明けたいと思わせる受容力、信頼感があったからこそです。勿論理解を示してくださいました。
その後は半年が経過するまで話したのは2人くらいでそれだけ大衝撃な事件だったわけですし、
劇場でお世話になっている方々を含めなかなか周囲にも言えずにいた中でも守山先生は数少ない、何でも言えてしまう存在でした。

ラファエラに話を戻します。最終回ではラファエラが開講した2000年以降のバレエ界、世界情勢の変遷を辿る内容で、(遡って東西ドイツ統一やソ連崩壊辺りからを含む)
歴史と共にバレエも動く光景がぱっと目に浮かび続ける内容でした。
また近年における、門外不出であったはずのバレエ団ならではのプロダクションが世界各地のバレエ団でレパートリー入りする現象や
古典改訂時の課題、バレエにおける差別化表現の浮き彫りや若い人々をいかにして生のものを時間をかけて体感する劇場へと呼び込むか等
ここ10年、20年の間に浮上してきた動き、変化についての説明もあり。機械環境も大きく変わり、講座の初期の頃はVHSビデオをどっさり持ってきて見せていたご苦労や
予習のために同じ箇所をご覧になり過ぎてテープが擦り切れてしまった騒ぎなど、当時の機械事情も振り返ったりと懐かしい思い出がたくさん語られました。
25年前、インターネットはあったがSNSもまだまだ発展途上でYouTubeは無し。色々進化したものです。
携帯電話もそこまで流通せず、ドコモのカラーiモードが出てきた頃でしょうか。まだポケベルやPHSの利用者も多かった時代でしょう。

ぱっと目に浮かんで仰ぎ見るようなスターが不在である現在や、仲間達系ではないダンサー主催のガラの増加といったガラの変化も取り上げてくださり
そういえば少し前まではマラーホフの贈り物、ルグリトと輝ける仲間達、イーゴリ・ゼレンスキーガラ、
マリインスキーでは日替わりでロパートキナのすべて、ヴィシニョーワのすべて、といったスターの冠が付けられたプログラムの存在が色々あったと思い起こされます。
講座スタート時、私は受講者ではなかったもののバレエ関連の書籍はまずまず読んでおりましたから、
時代に君臨するスター達、ギエムやアナニアシヴィリ、フェリ、ルディエール、プラテル、マラーホフ、ルグリ、ルジマトフ、パトリック・デュポン等の
名前、活躍は頭に入っておりましたので、最終日も話を聞きながら頷きが止まりませんでした。
同時にもしその頃つまりは2000年前後、私が仮に今のように年間80回や90回程度バレエを鑑賞していたとしたならば、
先ほど挙げたスターの誰かの虜になって、例えば講座に行ったら私は◯◯派といった意見を持っていただろうかとも考えが浮上。
2000年頃でしたら、海外国内問わずダンサー図鑑を読んでも満遍なく目を通していた記憶があり
国内でしたら下村由理恵さんや斎藤友佳理さんは好きでしたが男性はまだその当時はこれといって虜になる人もおらず、誰も現れんと思っておりましたが数年後以降は笑)
当時に行って確かめたら思いもよらぬ好みであったかもしれません。
そして25年後のバレエ界を想像してみたり、自身の尺度を持っての鑑賞の大切さについてもお話がありました。
ああ、尊い講座が休止になるとは返す返すも残念でなりません。何かしら違った形での開講を心待ちにしております!




清泉の校舎内、格式ある応接室。



客間?でしょうか。テレビドラマでも時々撮影に使用されています。



大学の地下1階にて、最後のケーキ。恐らくはガトーショコラが最もよく食べた種類かもしれません。
ムンタ先輩が注文されたスコーンも半分いただき、これで最後と思うと寂しい。



今回は本当に最終回であったので、こちらについても。4年ぶりに打ち上げ食事会を行いました。
今回は前回の20周年と同様に立食形式でしたのでバレエ鑑賞初心者もベテラン勢も、より交流を深め合う時間になったかと思います。
管理人、2017年から幹事を続けており、年2回は会場探しや取りまとめを担当しておりましたが(2020年後期から2023年は除く)
毎回参加者が優しい方ばかりで幹事の口煩い協力要請にも快く反応してくださって助けられました。
初参加の方々も不安なく楽しめるように毎回努めましたが、リラックスしたひとときとなったならば幸いです。
写真は幹事作成名札達。会場の下見にて、あらかじめ店主にBGMをクラシック中心にお願いしたところお店のスマホから似たジャンルが次々と流れるよう設定してくださり
韃靼人の踊りやコッペリアグランパ・ド・ドゥ、眠りの花のワルツもあったか、そしてマノンの娼館のワルツまで!!お店のBGMとしては珍しい曲もあり、興奮でございました。
管理人は二次会後はそのまま五反田に宿泊し、翌朝羽田空港へ行き西日本へ。その話は次の次の回にて綴る予定でおります。

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