バレエについての鑑賞記、発見、情報、考えたことなど更新中
2020年よりこちらに引越し、2019年12月末までの分はhttp://endehors.cocolog-nifty.com/blog/に掲載
2020年3月26日木曜日
パリ・オペラ座ダンスの饗宴
1週間以上前ですが、東銀座の東劇にて映画『パリ・オペラ座ダンスの饗宴』を観て参りました。
https://www.culture-ville.jp/celebratedance
https://spice.eplus.jp/articles/266660
https://spice.eplus.jp/articles/266753
デフィレ
アマンディーヌ・アルビッソン/エミリー・コゼット/オーレリ・デュポン/ドロテ・ジルベール/
マリ・アニエス・ジロ/レティシア・プジョル/アリス・ルナヴァン/
ジェレミー・ベランガール/ステファン・ビュリョン/マチュー・ガニオ/ジョシュア・オファルト/
エルヴェ・モロー/カール・パケット/バンジャマン・ペッシュほか
<バレエ学校の生徒と100人と団員154人が一堂に会し>の解説やポスター写真を眺める以上に壮観。
白或いは白と黒を組み合わせた至ってシンプル且つクラシカルな衣装で全員登場し、行進しているだけでも
ゴージャスな眩さに拍手をしたくなったほどです。
ところで、衣装からして多少は踊るのかと思いきや本当に行進とレヴェランスのみであった点も驚きを覚えましたが
跳躍や回転ではなく歩く姿でいかにエレガンスを表現し世界最古のカンパニーのプライドを示すか
パリ・オペラ座の意地を見せられた気もいたします。基本左右対称で幾何学模様を描くように進行し
気づけばガルニエの舞台全体が覆い尽くされ圧巻。
エチュード
振付:ハラルド・ランダー、クヌドーゲ・リーサゲル
音楽:カール・チェルニー
出演:ドロテ・ジルベール/カール・パケット/ジョシュア・オファルト
生粋のクラシック・バレエ技術てんこ盛りでレッスン風景から始まり、中盤にもバーは無くても
レッスンを彷彿させる大勢で整列してのタンデュも取り入れたりと誤魔化しが一切許されぬ
更には終盤にかけて煽るように勢いや熱が一気に帯びていく体力消耗過酷作品。
初鑑賞は2006年のマリインスキー来日公演オールスターガラで、ソーモワ/サラファーノフ/シクリャローフの若手(当時)トリオ。
次が2009年春の東京バレエ団公演で吉岡さん/フォーゲル/サラファーノフ、
映画ではボリショイシネマにてスミルノワ/チュージン/オフチャレンコ、で回数こそ少ないものの何度か観る機会に恵まれております。
ジルベールが安定感と歯切れ良さで全編を締め、女王然とした貫禄。
ロマンチックチュチュでの優雅さよりもクラシック・チュチュでの正確なコントロールの効いた踊りで
空気を斬るかのようにパワフルに全体を率いていた印象のほうがより強く残っております。
パケットの目を惹く華は文句無しだったが他のカンパニー鑑賞時は連続ザンレールであった箇所を
1回こなして次は跳躍のみ、の1回おきであった点が気にかかるところ。
音楽はこれといって華麗でもなくされど様々なピースを組み合わせ次々と見せ場が現れ、
重々しくも弾ける何とも不思議な旋律から一気に最後へと突き進む流れに
随所に跳躍を盛り込んで終盤へと駆け抜ける振付が合わさり、いよいよフィナーレかと思ってもまだ続く
対角線上の舞台を斜め横切りには何度か観ている作品であっても踊り手泣かせなランダーによる技巧の嵐に目が追いつかず。
過酷且つクラシック・バレエの基礎をシンプルに魅せる振付を存分に堪能できました。
くるみ割り人形
振付:ルドルフ・ヌレエフ
音楽:チャイコフスキー
出演
クララ:ミリアム・ウルド=ブラーム
ドロッセルマイヤー/王子:ジェレミー・ベランガール
ルイーザ:ノルウェン・ダニエル
フリッツ:エマニュエル・ティボー
雪の精:イザベル・シアラヴォラ、ステファニー・ロンベール
ヌレエフ版くるみを映像で観るのは初。生では一昨年のウィーン国立バレエ団ガラにて橋本清香さんのグラン・パ・ド・ドゥのみ鑑賞し
橋本さんはいたくスタイル宜しく品格もあり踊りも安定していたもののアダージオ最後のリフトとバランスが冷や汗もので
加えて仰々しい頭飾りばかりが目についてしまったと記憶。そしてオペラ座ダンサーの写真では
2014年末にレオノール・ボラックとジェルマン・ルーヴェ、更に遡れば80年代後半の雑誌で
モニク・ルディエールやエリザベット・モーランを目にしたぐらいで実質初鑑賞者として開幕を迎えた次第です。
不気味さや醜さを前面に出した箇所が多くいわゆる王道のくるみからは離れた路線であると耳にしており
恐る恐る蓋を開けるように眺めておりましたが、序盤からパーティーへ行く中上流階級な人々ではなく
労働者らしい人々が至るところで跳びはねたりと弾けていて、不思議な幕開けにびっくり。
2幕では仮面のような被り物をした怪しい侵入者たちがクララを囲い込み、これまた仰天の連続でした。
しかし全編通してあくまで少女の夢物語の軸が緩まずであったのは、クララ役のブラームの好演が大きかったと推察。
1幕でのパーティー場面では清楚な雰囲気である上にあどけなさもあり、子供らしさはそのままながら
複雑なステップや足捌きも涼しい顔で難なく踊り、目を見張る軽やかさに天晴れです。
グラン・パ・ド・ドゥはすっかり大人の顔で艶っぽさが漂い、1音1音に何かしら嵌め込まれたややこしい振付も
1つ1つのポーズの優雅さも保ちつつ滑らかな軌跡を描くように舞台を彩る好演でした。
ブラームを以前鑑賞したのは友人の代わりに足を運んだ2017年の来日公演『ラ・シルフィード』で
儚いたおやかさに魅せられ、近年は希少であろう古しきゆかしきロマンチック・バレエの真髄を体現していて大変好印象を持ちましたが
クラシックしかもヌレエフ版をも余裕で、脚で雄弁に語る技術の高さに感激するばかりでした。
ガルニエの舞台を覆い尽くす圧巻のデフィレから研ぎ澄まされたクラシックの技術が不可欠な『エチュード』、
そして独特の不気味な世界観も含ませたヌレエフ版『くるみ割り人形』ハイライトまで見応えのあるプログラムを満喫。
6年前にシネマで鑑賞した『水晶宮』での全体が重たい印象が拭えずであったため(失礼)
近年のパリ・オペラ座バレエ団が踊るクラシック作品の舞台に対しプラス方向ではない考えを勝手に抱いてしまっておりましたが
今回はどれもしっかり響き、大きなスクリーンで鑑賞できて良かったと感じております。
2020年3月25日水曜日
ボリショイ・バレエ in シネマ Season 2019 - 2020『ライモンダ』
3月18日(水)、ボリショイシネマ『ライモンダ』を観て参りました。
https://spice.eplus.jp/articles/265958
音楽:アレクサンドル・グラズノフ
振付:ユーリー・グリゴローヴィチ(原版:マリウス・プティパ)
台本:ユーリー・グリゴローヴィチ(原作:リディア・パシコワ)
出演:オルガ・スミルノワ(ライモンダ)
アルテミー・ベリャコフ(ジャン・ド・ブリエン)
イーゴリ・ツヴィルコ(アブデラーマン)
スミルノワは内面からの感情や顔の表情よりも空間を大きく使って繰り出される1つ1つのポーズの厳格なラインで魅せる崇高な姫。
1幕では若さ初々しさが大事と嘗てあらゆる作品にて主演を務めてきたマリーヤ・アラシュだったか
インタビューで話してはいたものの1幕から貫禄あり過ぎる姫君で
アブデラーマンの迫りにも怯えたり戸惑う様子もなく涼しい顔一辺倒な印象で、ライモンダの心境の揺れ動きや
幕ごとに成熟度を増していくさまは見えづらかった気もいたします。
しかし決闘に敗れた瀕死のアブデラーマンから目を逸らそうと恐怖感を募らせた後のアダージオは
敵国の男性とはいえ自らのせいで命を落とした姿を眼前にして心身が硬直していた姿からジャンの包容力によって
徐々に解れ落ち着きを取り戻す過程を優美で希望が見えるかのような旋律に乗せて丁寧に描写。
このアダージオが入っているのは誠に説得力があると毎回思え、1人の人間しかも自身を求愛した男性が目の前で亡くなった状況から
すぐさま心を切り替えてファンファーレでめでたしめでたしとはし難いと思うのです。(牧阿佐美さん版はファンファーレ賛美だが)
しっとりと愛を確かめ合い肩にもたれかかるような体勢のリフトのままによる幕切れはいたくロマンティックな風情を残し
3幕へと繋がっていました。いずれにしても近寄り難いほどに孤高で凛然とした風格に惚れ惚れし
今夏の東京シティ・バレエ団客演も今から楽しみです。
ベリャコフはなかなかの渋い男前で王子ではなくきちんと騎士に見えたジャン。(これ大事)
眼差し鋭く、マント捌きも颯爽としていてグリゴローヴィヂ版名物の1つである出征前の部下騎士らしき2人分従えての
勇壮なファンファーレに乗せたマントのトロワなる見せ場も絵になっていて宜しうございました。
但し、ベリャコフの責任ではないが真上から羽根らしき鋼が直立に装着されている兜の形状が
どうしてもラディッシュに見えてしまうのはどうしたものか。
それはともかく、人を寄せ付けないほどに気高いライモンダを振り向かせ心を開かせたのも納得な
高貴さと強さを兼備した騎士でございました。どちらかといえば純白な王子貴公子よりも
一癖ある役柄のほうが似合いそうな印象で、来日公演での『スパルタクス』クラッススは誠に期待が高まります。
ジャパンアーツのサイトから辿りご本人の投稿舞台写真一覧を眺めていってみたところ
20年以上前に観た衝撃が今も忘れられぬ、赤の広場特設舞台で踊る
マクシモワとワシリエフの映像で哀愁がしっとりと流れる振付と音楽にすっかり魅せられた
『アニュータ』のパ・ド・ドゥや(パートナーはオブラスツォーワ)や『明るい小川』のバレエダンサー
(シルフィードの衣装着けて自転車に乗る場面でのフィーリンが忘れられないが笑)も経験済みのようで
既に役柄の幅はかなり広いようです。
燃え盛る表現で観客の拍手を攫ったのはアブデラーマンのツヴィルコ。
後にも述べますが何しろグリゴローヴィヂ版でのこの役は名演者タランダで一度観てしまうと
誰が踊っても薄く見えてしまう懸念すら持っておりましたが、ギラリとした視線や粘り気と熱さが共存した踊りで嵐を起こし
うつ伏せ体勢で脚を交互に蹴り上げるようにして横へ横へと移動しながらの跳躍を始めテクニックも炸裂。
他の版と異なりアブデラーマンにも比重が置かれ、スペインや2幕のコーダでも自ら中央に入り率いて
興奮の最高潮へと導く力演でした。ただ単なる悪者ではない人物と映ったのは
ライモンダや伯爵夫人への礼を尽くす所作が深々と美しく、格も持ち合わせていたからこそ。
思えば城に怪しい人物、しかも姪っ子の婚約者の十字軍遠征先の地域からやって来た人物なんぞ
本来ならばドリ伯爵夫人は邪険に扱ってもおかしくはなくすぐさま引き取り願うところなのでしょうが
(そしてこの作品を観るたびに思う、城の警備体制は機能しているのか疑問。そうか働き盛りは十字軍に行ってしまったと結論)
あくまで丁重にもてなすのは一見強面で敵対国の人物であっても
アブさんの人間力(加えて財力やサラセン地域の発達した文化への憧憬も含むかもしれぬが)に惹かれるものが夫人自身もあったものと推察。
また場面は戻ってアブさん初登場は1幕後半の夢の終わり、幻のジャンとの再会後ライモンダが魘される場で
夢から覚めるまでが他版よりも非常に長くつまりはそれだけアブさんがしつこく付き纏う展開のため
余程のダンサーでなければ冗長になってしまいがちなところ。しかしツヴィルコの舞台全体を覆い尽くす勢いと怪しいオーラで席巻し
更にこのときばかりは怯えや不安を募らせていたライモンダとの呼応もあって
終わりかけた夢の最後の最後までを重たく引き摺り、その後ライモンダの目覚めをより鮮やかに感じさせる流れに繋がっていました。
元々バレエ作品の中では最も好きであり、しかもボリショイシネマでは初登場で概ね満足いたしましたが
従来と比較すると、音楽の順序変更や何箇所もの端折りの生じがあり疑問が残った部分も少なからず。
最たる衝撃の1つは1幕の幕開けの壮大なテーマ曲が流れた直後に入っていた吟遊詩人たちの踊りの曲がカットされていた点で
リュートを想起させる(実際の演奏はヴァイオリンであろうが)軽やかな調べで始まり、この部分があるからこそ
中世の宮廷の世界にすっと入り込めると捉えていただけに、テーマ曲の直後に
突如ライモンダの登場曲が響いてきた際には唐突な展開に思えてなりませんでした。
もう1箇所、順番前後して序曲も様変わりしており従来は3幕の前奏曲として演奏されていた
仰々しい曲が(今年の新国立劇場ニューイヤー・バレエでの海賊の前座の如き扱いな短か過ぎるパ・ド・ドゥ使用曲として記憶に新しい)
1幕の前奏曲として演奏。ソ連時代の収録映像の刷り込みはこちらの勝手な事情であるものの
首を長くして待ちわびていた開演のはずが1、2幕は飛ばして3幕のみ上演と錯覚。心がなかなかついていけなかった点は否めませんでした。
そういえば白の貴婦人も登場しなかったがいつから無しになったのか、また3幕ではチャルダッシュとマズルカの順序が入れ替えで
マズルカから開始し、チャルダッシュの後にはすぐフィナーレのギャロップ。
まさかグラン・パ・クラシックの前に披露とは想定外の順序でしたので遡って要調査です。
『ライモンダ』と『スパルタクス』を上演した2012年の来日公演に一度も足を運ばず終いであったのは一生の後悔でございます。
『ライモンダ』の市販映像として日本で最初に出回ったのが恐らくはベスメルトノワとヴァシュチェンコ主演の
1989年収録のグリゴローヴィヂ版と思われ、その後も全幕映像の販売は三大バレエに比較すると到底少なく
動画サイトが普及したとは言えこの映像が刷り込まれている方は多くいらっしゃるかと思います。
私もその1人で、以後2005年ABT来日公演でのアンナ・マリー=ホームズ版における十字軍無しでチャルダッシュが1幕披露の設定や
新国立劇場での牧阿佐美さん版初演時にはプロローグでジャンが出征してしまい1幕のワルツ不在、
日本における全幕初演のカンパニーである牧阿佐美バレエ団のウエストモーランド版での
結婚式でもライモンダが豪華なティアラや装飾を頭に付けていない点(花冠な形)や騎士たちの絵が十字軍の時代よりも近代寄りと思えた点や
日本バレエ協会アリエフ版のお洒落すぎる甲冑やキエフバレエ全幕でのピンクがかった
メルヘンな世界など(現新国立の菅野さんがライモンダのお友達役でご出演)
基準がグリゴローヴィヂ版であるがゆえに気にかかる点がいくつも浮上してしまい、刷り込みの恐ろしさを思い知るばかりです。
ただ情報を容易に入手できる時代になっても強烈な印象が刻まれているのは、キャラクター設定や振付の骨格がしっかりしているからこそ。
これといってドラマ性がない、往年の少女漫画な三角関係、なんぞ言われる作品ですが
(少女漫画といえば帰還後の鉢合わせでアブさんに抱き上げられての連れ去り寸前も、
直後にジャンのもとへと戻るときもライモンダはお姫様抱っこをされている状態。
くるみ割り人形でも最後マーシャは結婚式でマントした王子に飛び込んでお姫様抱っこされる演出で
勇壮な作風の印象があるグリゴロさんは案外乙女心をくすぐる要素もお好きで入れたがるのか、考えが巡ります)
主要男性キャラクターであるジャンとアブさんの両方に重きが置かれているのは重要ポイントであり
例えば2幕ジャンの帰還とライモンダ連れ去り失敗されどめげぬアブさんの対決では決闘まで暫くの時間
両軍の集団戦やら間に入りつつ跳躍対決まであり、大河ドラマや歴史映画での
戦闘シーンに近いものがある印象。男性が豊富且つ雄々しい演出に対応可能な人材が揃うボリショイらしい振付です。
そういえば、『ラ・バヤデール』でもグリゴローヴィヂはニキヤとガムザッティの1幕修羅場にて
跳躍対決の振付を取り入れ、極力舞踊で見せる振付を好むと再確認。
ジャンも最初から勇壮な歩みによる登場で印象付け、1幕の後半まではワルツもライモンダと踊ってしかも
そっと寄り添い別れを惜しむ情感を含ませる見せ場を持たせたのち通常3幕で踊られるヴァリエーションを挿入したり
(グリゴローヴィヂ版3幕でのヴァリエーションは、先月受講した福田一雄さんの講座によれば本来は子供の踊りとして作られた曲らしい)
単なる舞踊の洪水にはとどまらぬ構成となっています。そしてアブさんに焦点を当てて男子の憧れの役として確立させた功績も大きく
先述の通り夢の場の引き際をずっしり怪しい場面とさせてライモンダの怯えをより募らせ
2幕後半では殆ど独壇場。3幕開演前のインタビューでツヴィルコは、生徒時代からタランダが踊るアブデラーマンに憧れていたことや
悪人ではなく愛に生きる人物として捉えていることを饒舌に語る姿から役への愛着が窺え
ひょっとしたら作品中で最たる存在感を示す役柄といっても過言ではないでしょう。
更に2幕では他のバレエ団の追随を許さぬであろうボリショイ自慢のキャラクターダンスがこれでもかと地鳴りの如き力を発揮。
ソ連時代の刷り込みによって改訂版を観た今回唐突に感じた場面もありながら、重厚な歴史舞踊絵巻な
グリゴローヴィヂ版『ライモンダ』待望の映画登場に感激は尽きず。いつの日か現地ボリショイ劇場での鑑賞を再度決意です。
美術は茶色を基調にしつつ写実的で立体感があり、特に回りををカーテンのような波で模した美術は圧巻。
衣装は渋みを効かせ、貴族女性の平たい胸元のカッティングやシンプルであっても
抑えた青や金といった色彩もセンスの良さを感じさせるデザインそして頭飾りも含め
歴史書から飛び出した人々のようです。シモン・ヴィルサラーゼの名前を目にすると
色彩の魔術師の如く派手さはない色味から不思議な光を放つ衣装の数々に、30年以上前から安心感を覚えております管理人でございます。
ボリショイシネマ名物カテリーナ・ノヴィコワさんの複数言語による案内も快調。
客席や準備中の舞台上にて舌が休む間もなく語っていらっしゃいました。
通訳文字起こしもついていけなかったのか、過去にボリショイでライモンダを踊ったダンサー紹介で
グラチョーワやステパネンコだったか、口にしていながら字幕では表示されぬ事態に笑。
ところで両腕を交互に下に向かって振り回すサラセンたちのコーダ冒頭の振付、
1993年のサッカーJリーグ開幕直後からスター選手として活躍し現在も現役選手である
三浦知良さんによるゴール後のパフォーマンスことカズダンスにそっくりであると思った方は5人程度はいらっしゃるであろうと切願。
開幕の頃テレビでヴェルディ川崎(当時)の試合を視聴するたび
舞台を劇場からスタジアムに移してのサラセンダンスに見えて仕方ない、そんな風変わり観戦をしていた管理人でございます。
さて、繰り返しになりますが全幕上演の機会が少ない作品で、もし今春のパリ・オペラ座来日公演にて
来日決定時の発表通りヌレエフ版『ライモンダ』上演であったらならば連日通い詰めていたであろうと想像。
しかし演目が変更となったため見合わせましたが、来年2021年6月には
新国立劇場バレエ団が12年ぶりつまりは干支一回りぶりに全幕再演。
ボリショイとは大分趣異なる繊細で緻密な衣装美術で中世の写本をめくるような色彩美も見どころ、どうぞご来場ください。
少しずつ主役は決まって参りましたが、残りの枠そしてアブさんの発表も心待ちにしております。
初演の2004年に比較すれば格段に男性ダンサーの層が厚くなりましたから
アブさんの見せ場増加の改訂も願います。そしてあのお饅頭の騎士なるジャンの肖像画も描き直しを笑。
新宿TOHOシネマの1階、映画のチケットを見せると特典を受けられます。
管理人はスパークリングワインを無料でいただき、そして焼き牡蠣セット。
※ベスメルトノワとヴァシュチェンコ主演映像はDVD化されており現在も入手可能です。
アップになったときのベスメルトノワのお顔が気合いの入り過ぎた舞台化粧のせいかなかなかの迫力ですが(失礼)色褪せぬ演出です。
そしてツヴィルコ少年も憧れたタランダのアブさんは必見。
さて昨今では当ブログでもしばしば行っている男性ダンサーの髪型観察。
実は私がバレエを観始めて最初に髪型ど突っ込みをしたのが平成突入まもない頃、ジャンを踊るヴァシュチェンコでした。
前髪が盛ったようなボリュームがあり、全体がやや長めの三角形シルエットに
パーマか天然か、映像をまじまじと眺めてしまった記憶は今もございます。
ヴァシュチェンコの映像はその後立て続けにベスメルトノワとの『ジゼル』、
アッラ・ミハリチェンコとの『白鳥の湖』、ボリショイ・バレエ・イン・ロンドンでの
『ショピニアーナ』やリュドミラ・セメニャカとの『ドン・キホーテ』グラン・パ・ド・ドゥなどで観ていながら
ノーブルであるのは分かるのだがさほど印象に残らず(失礼)。
その頃から早30年、昨今における数年に渡っての特定ダンサー猛集中の髪型観察継続は
無尽蔵の魅力が備わりが心から虜になっているからこそとお受け止めください。
https://spice.eplus.jp/articles/265958
音楽:アレクサンドル・グラズノフ
振付:ユーリー・グリゴローヴィチ(原版:マリウス・プティパ)
台本:ユーリー・グリゴローヴィチ(原作:リディア・パシコワ)
出演:オルガ・スミルノワ(ライモンダ)
アルテミー・ベリャコフ(ジャン・ド・ブリエン)
イーゴリ・ツヴィルコ(アブデラーマン)
スミルノワは内面からの感情や顔の表情よりも空間を大きく使って繰り出される1つ1つのポーズの厳格なラインで魅せる崇高な姫。
1幕では若さ初々しさが大事と嘗てあらゆる作品にて主演を務めてきたマリーヤ・アラシュだったか
インタビューで話してはいたものの1幕から貫禄あり過ぎる姫君で
アブデラーマンの迫りにも怯えたり戸惑う様子もなく涼しい顔一辺倒な印象で、ライモンダの心境の揺れ動きや
幕ごとに成熟度を増していくさまは見えづらかった気もいたします。
しかし決闘に敗れた瀕死のアブデラーマンから目を逸らそうと恐怖感を募らせた後のアダージオは
敵国の男性とはいえ自らのせいで命を落とした姿を眼前にして心身が硬直していた姿からジャンの包容力によって
徐々に解れ落ち着きを取り戻す過程を優美で希望が見えるかのような旋律に乗せて丁寧に描写。
このアダージオが入っているのは誠に説得力があると毎回思え、1人の人間しかも自身を求愛した男性が目の前で亡くなった状況から
すぐさま心を切り替えてファンファーレでめでたしめでたしとはし難いと思うのです。(牧阿佐美さん版はファンファーレ賛美だが)
しっとりと愛を確かめ合い肩にもたれかかるような体勢のリフトのままによる幕切れはいたくロマンティックな風情を残し
3幕へと繋がっていました。いずれにしても近寄り難いほどに孤高で凛然とした風格に惚れ惚れし
今夏の東京シティ・バレエ団客演も今から楽しみです。
ベリャコフはなかなかの渋い男前で王子ではなくきちんと騎士に見えたジャン。(これ大事)
眼差し鋭く、マント捌きも颯爽としていてグリゴローヴィヂ版名物の1つである出征前の部下騎士らしき2人分従えての
勇壮なファンファーレに乗せたマントのトロワなる見せ場も絵になっていて宜しうございました。
但し、ベリャコフの責任ではないが真上から羽根らしき鋼が直立に装着されている兜の形状が
どうしてもラディッシュに見えてしまうのはどうしたものか。
それはともかく、人を寄せ付けないほどに気高いライモンダを振り向かせ心を開かせたのも納得な
高貴さと強さを兼備した騎士でございました。どちらかといえば純白な王子貴公子よりも
一癖ある役柄のほうが似合いそうな印象で、来日公演での『スパルタクス』クラッススは誠に期待が高まります。
ジャパンアーツのサイトから辿りご本人の投稿舞台写真一覧を眺めていってみたところ
20年以上前に観た衝撃が今も忘れられぬ、赤の広場特設舞台で踊る
マクシモワとワシリエフの映像で哀愁がしっとりと流れる振付と音楽にすっかり魅せられた
『アニュータ』のパ・ド・ドゥや(パートナーはオブラスツォーワ)や『明るい小川』のバレエダンサー
(シルフィードの衣装着けて自転車に乗る場面でのフィーリンが忘れられないが笑)も経験済みのようで
既に役柄の幅はかなり広いようです。
燃え盛る表現で観客の拍手を攫ったのはアブデラーマンのツヴィルコ。
後にも述べますが何しろグリゴローヴィヂ版でのこの役は名演者タランダで一度観てしまうと
誰が踊っても薄く見えてしまう懸念すら持っておりましたが、ギラリとした視線や粘り気と熱さが共存した踊りで嵐を起こし
うつ伏せ体勢で脚を交互に蹴り上げるようにして横へ横へと移動しながらの跳躍を始めテクニックも炸裂。
他の版と異なりアブデラーマンにも比重が置かれ、スペインや2幕のコーダでも自ら中央に入り率いて
興奮の最高潮へと導く力演でした。ただ単なる悪者ではない人物と映ったのは
ライモンダや伯爵夫人への礼を尽くす所作が深々と美しく、格も持ち合わせていたからこそ。
思えば城に怪しい人物、しかも姪っ子の婚約者の十字軍遠征先の地域からやって来た人物なんぞ
本来ならばドリ伯爵夫人は邪険に扱ってもおかしくはなくすぐさま引き取り願うところなのでしょうが
(そしてこの作品を観るたびに思う、城の警備体制は機能しているのか疑問。そうか働き盛りは十字軍に行ってしまったと結論)
あくまで丁重にもてなすのは一見強面で敵対国の人物であっても
アブさんの人間力(加えて財力やサラセン地域の発達した文化への憧憬も含むかもしれぬが)に惹かれるものが夫人自身もあったものと推察。
また場面は戻ってアブさん初登場は1幕後半の夢の終わり、幻のジャンとの再会後ライモンダが魘される場で
夢から覚めるまでが他版よりも非常に長くつまりはそれだけアブさんがしつこく付き纏う展開のため
余程のダンサーでなければ冗長になってしまいがちなところ。しかしツヴィルコの舞台全体を覆い尽くす勢いと怪しいオーラで席巻し
更にこのときばかりは怯えや不安を募らせていたライモンダとの呼応もあって
終わりかけた夢の最後の最後までを重たく引き摺り、その後ライモンダの目覚めをより鮮やかに感じさせる流れに繋がっていました。
元々バレエ作品の中では最も好きであり、しかもボリショイシネマでは初登場で概ね満足いたしましたが
従来と比較すると、音楽の順序変更や何箇所もの端折りの生じがあり疑問が残った部分も少なからず。
最たる衝撃の1つは1幕の幕開けの壮大なテーマ曲が流れた直後に入っていた吟遊詩人たちの踊りの曲がカットされていた点で
リュートを想起させる(実際の演奏はヴァイオリンであろうが)軽やかな調べで始まり、この部分があるからこそ
中世の宮廷の世界にすっと入り込めると捉えていただけに、テーマ曲の直後に
突如ライモンダの登場曲が響いてきた際には唐突な展開に思えてなりませんでした。
もう1箇所、順番前後して序曲も様変わりしており従来は3幕の前奏曲として演奏されていた
仰々しい曲が(今年の新国立劇場ニューイヤー・バレエでの海賊の前座の如き扱いな短か過ぎるパ・ド・ドゥ使用曲として記憶に新しい)
1幕の前奏曲として演奏。ソ連時代の収録映像の刷り込みはこちらの勝手な事情であるものの
首を長くして待ちわびていた開演のはずが1、2幕は飛ばして3幕のみ上演と錯覚。心がなかなかついていけなかった点は否めませんでした。
そういえば白の貴婦人も登場しなかったがいつから無しになったのか、また3幕ではチャルダッシュとマズルカの順序が入れ替えで
マズルカから開始し、チャルダッシュの後にはすぐフィナーレのギャロップ。
まさかグラン・パ・クラシックの前に披露とは想定外の順序でしたので遡って要調査です。
『ライモンダ』と『スパルタクス』を上演した2012年の来日公演に一度も足を運ばず終いであったのは一生の後悔でございます。
『ライモンダ』の市販映像として日本で最初に出回ったのが恐らくはベスメルトノワとヴァシュチェンコ主演の
1989年収録のグリゴローヴィヂ版と思われ、その後も全幕映像の販売は三大バレエに比較すると到底少なく
動画サイトが普及したとは言えこの映像が刷り込まれている方は多くいらっしゃるかと思います。
私もその1人で、以後2005年ABT来日公演でのアンナ・マリー=ホームズ版における十字軍無しでチャルダッシュが1幕披露の設定や
新国立劇場での牧阿佐美さん版初演時にはプロローグでジャンが出征してしまい1幕のワルツ不在、
日本における全幕初演のカンパニーである牧阿佐美バレエ団のウエストモーランド版での
結婚式でもライモンダが豪華なティアラや装飾を頭に付けていない点(花冠な形)や騎士たちの絵が十字軍の時代よりも近代寄りと思えた点や
日本バレエ協会アリエフ版のお洒落すぎる甲冑やキエフバレエ全幕でのピンクがかった
メルヘンな世界など(現新国立の菅野さんがライモンダのお友達役でご出演)
基準がグリゴローヴィヂ版であるがゆえに気にかかる点がいくつも浮上してしまい、刷り込みの恐ろしさを思い知るばかりです。
ただ情報を容易に入手できる時代になっても強烈な印象が刻まれているのは、キャラクター設定や振付の骨格がしっかりしているからこそ。
これといってドラマ性がない、往年の少女漫画な三角関係、なんぞ言われる作品ですが
(少女漫画といえば帰還後の鉢合わせでアブさんに抱き上げられての連れ去り寸前も、
直後にジャンのもとへと戻るときもライモンダはお姫様抱っこをされている状態。
くるみ割り人形でも最後マーシャは結婚式でマントした王子に飛び込んでお姫様抱っこされる演出で
勇壮な作風の印象があるグリゴロさんは案外乙女心をくすぐる要素もお好きで入れたがるのか、考えが巡ります)
主要男性キャラクターであるジャンとアブさんの両方に重きが置かれているのは重要ポイントであり
例えば2幕ジャンの帰還とライモンダ連れ去り失敗されどめげぬアブさんの対決では決闘まで暫くの時間
両軍の集団戦やら間に入りつつ跳躍対決まであり、大河ドラマや歴史映画での
戦闘シーンに近いものがある印象。男性が豊富且つ雄々しい演出に対応可能な人材が揃うボリショイらしい振付です。
そういえば、『ラ・バヤデール』でもグリゴローヴィヂはニキヤとガムザッティの1幕修羅場にて
跳躍対決の振付を取り入れ、極力舞踊で見せる振付を好むと再確認。
ジャンも最初から勇壮な歩みによる登場で印象付け、1幕の後半まではワルツもライモンダと踊ってしかも
そっと寄り添い別れを惜しむ情感を含ませる見せ場を持たせたのち通常3幕で踊られるヴァリエーションを挿入したり
(グリゴローヴィヂ版3幕でのヴァリエーションは、先月受講した福田一雄さんの講座によれば本来は子供の踊りとして作られた曲らしい)
単なる舞踊の洪水にはとどまらぬ構成となっています。そしてアブさんに焦点を当てて男子の憧れの役として確立させた功績も大きく
先述の通り夢の場の引き際をずっしり怪しい場面とさせてライモンダの怯えをより募らせ
2幕後半では殆ど独壇場。3幕開演前のインタビューでツヴィルコは、生徒時代からタランダが踊るアブデラーマンに憧れていたことや
悪人ではなく愛に生きる人物として捉えていることを饒舌に語る姿から役への愛着が窺え
ひょっとしたら作品中で最たる存在感を示す役柄といっても過言ではないでしょう。
更に2幕では他のバレエ団の追随を許さぬであろうボリショイ自慢のキャラクターダンスがこれでもかと地鳴りの如き力を発揮。
ソ連時代の刷り込みによって改訂版を観た今回唐突に感じた場面もありながら、重厚な歴史舞踊絵巻な
グリゴローヴィヂ版『ライモンダ』待望の映画登場に感激は尽きず。いつの日か現地ボリショイ劇場での鑑賞を再度決意です。
美術は茶色を基調にしつつ写実的で立体感があり、特に回りををカーテンのような波で模した美術は圧巻。
衣装は渋みを効かせ、貴族女性の平たい胸元のカッティングやシンプルであっても
抑えた青や金といった色彩もセンスの良さを感じさせるデザインそして頭飾りも含め
歴史書から飛び出した人々のようです。シモン・ヴィルサラーゼの名前を目にすると
色彩の魔術師の如く派手さはない色味から不思議な光を放つ衣装の数々に、30年以上前から安心感を覚えております管理人でございます。
ボリショイシネマ名物カテリーナ・ノヴィコワさんの複数言語による案内も快調。
客席や準備中の舞台上にて舌が休む間もなく語っていらっしゃいました。
通訳文字起こしもついていけなかったのか、過去にボリショイでライモンダを踊ったダンサー紹介で
グラチョーワやステパネンコだったか、口にしていながら字幕では表示されぬ事態に笑。
ところで両腕を交互に下に向かって振り回すサラセンたちのコーダ冒頭の振付、
1993年のサッカーJリーグ開幕直後からスター選手として活躍し現在も現役選手である
三浦知良さんによるゴール後のパフォーマンスことカズダンスにそっくりであると思った方は5人程度はいらっしゃるであろうと切願。
開幕の頃テレビでヴェルディ川崎(当時)の試合を視聴するたび
舞台を劇場からスタジアムに移してのサラセンダンスに見えて仕方ない、そんな風変わり観戦をしていた管理人でございます。
さて、繰り返しになりますが全幕上演の機会が少ない作品で、もし今春のパリ・オペラ座来日公演にて
来日決定時の発表通りヌレエフ版『ライモンダ』上演であったらならば連日通い詰めていたであろうと想像。
しかし演目が変更となったため見合わせましたが、来年2021年6月には
新国立劇場バレエ団が12年ぶりつまりは干支一回りぶりに全幕再演。
ボリショイとは大分趣異なる繊細で緻密な衣装美術で中世の写本をめくるような色彩美も見どころ、どうぞご来場ください。
少しずつ主役は決まって参りましたが、残りの枠そしてアブさんの発表も心待ちにしております。
初演の2004年に比較すれば格段に男性ダンサーの層が厚くなりましたから
アブさんの見せ場増加の改訂も願います。そしてあのお饅頭の騎士なるジャンの肖像画も描き直しを笑。
新宿TOHOシネマの1階、映画のチケットを見せると特典を受けられます。
管理人はスパークリングワインを無料でいただき、そして焼き牡蠣セット。
※ベスメルトノワとヴァシュチェンコ主演映像はDVD化されており現在も入手可能です。
アップになったときのベスメルトノワのお顔が気合いの入り過ぎた舞台化粧のせいかなかなかの迫力ですが(失礼)色褪せぬ演出です。
そしてツヴィルコ少年も憧れたタランダのアブさんは必見。
さて昨今では当ブログでもしばしば行っている男性ダンサーの髪型観察。
実は私がバレエを観始めて最初に髪型ど突っ込みをしたのが平成突入まもない頃、ジャンを踊るヴァシュチェンコでした。
前髪が盛ったようなボリュームがあり、全体がやや長めの三角形シルエットに
パーマか天然か、映像をまじまじと眺めてしまった記憶は今もございます。
ヴァシュチェンコの映像はその後立て続けにベスメルトノワとの『ジゼル』、
アッラ・ミハリチェンコとの『白鳥の湖』、ボリショイ・バレエ・イン・ロンドンでの
『ショピニアーナ』やリュドミラ・セメニャカとの『ドン・キホーテ』グラン・パ・ド・ドゥなどで観ていながら
ノーブルであるのは分かるのだがさほど印象に残らず(失礼)。
その頃から早30年、昨今における数年に渡っての特定ダンサー猛集中の髪型観察継続は
無尽蔵の魅力が備わりが心から虜になっているからこそとお受け止めください。
2020年3月19日木曜日
英国ロイヤル・バレエ団 映画『ロミオとジュリエット』
英国ロイヤル・バレエ団の映画『ロミオとジュリエットを観て参りました。
約400名収容の大スクリーン劇場で観客はおよそ20名。随分とゆったり寛ぎながら鑑賞いたしました。
https://romeo-juliet.jp/
ジュリエット:フランチェスカ・ヘイワード
ロミオ:ウィリアム・ブレイスウェル
ティボルト:マシュー・ボール
マキューシオ:マルセリ-ノ・サンベ
ベンヴォーリオ:ジェームズ・ヘイ
パリス:トーマス・ムック
キャピュレット卿:クリストファー・サウンダース
キャピュレット夫人:クリステン・マクナリ-
乳母:ロマニー・パイダク
ローレンス神父:ベネット・ガートサイド
ロザライン:金子扶生
STAFF
監督:マイケル・ナン
撮影監督:ウィリアム・トレヴィット
振付:ケネス・マクミラン
セルゲイ・プロコフィエフ
美術:ニコラス・ジョージアディス
※前回の記事新国立劇場バレエ団『マノン』総括よりは短いため、お急ぎの方もご安心ください。
ヘイワードはナチュラルで意志をはっきりと示す愛らしいジュリエット。
乳母に対しては笑いながらからかうようにして露わにするあどけなさや
ロミオとの出会いでは迷いなくこの人こそ運命と言わんばかりの瞳でじっと見つめる眼差しからも見て取れました。
身体をコントロールしつつとにかく全身が歌うように自在に動き
中でも木や花がそよぐバルコニーでのパ・ド・ドゥにおける指先から脚先にかけて情熱を帯びて
喜びを体現する姿に会場の温度が数度は上昇した感覚になったほどです。
ブレイスウェルまだ色に染まっていない、前半は喜怒哀楽に明確さがさほどない(褒め言葉)朴訥としたロミオで
マキューシオとベンヴォーリオのペースに合わせていそうなお人好し青年。
だからこそ、後半でのティボルトへの目の色を変えた体当たりな怒りに周囲はなす術もなく騒然するしかなかったのでしょう。
活発そうなジュリエットとおっとり気味なロミオ、たいそう宜しいバランスでした。
世間では絶賛の嵐ティボルトのボールは容姿端麗でロミオたちを見据える企みを含んだ視線すら美しい青年。
しかしこればかりは個人の好み及び我が鑑賞眼の欠如が要因でございますが、昨年のロイヤルシネマでロミオと同様
ドラマ性の強い作品の役柄であっても心を揺さぶられるに至らず。
昨夏話題沸騰であったマシュー・ボーン版『白鳥の湖』主役で観れば鷲掴みにされるであろうか気になるところです。
技術の安定性、軽やかさで目を惹いたのはサンベのマキューシオ。
昨年には友人の代理で足を運んだ来日公演『ドン・キホーテ』にてスティーブン・マックレーの代役バジルを観ており
好演ではあったのは確かだが、突如のギター演奏や叫び声が不自然さに拍車をかけた
いかんせん古典バレエ改訂史上に残るであろう大コケ演出であったため(アコスタには申し訳ないが)
ダンサー各々の特性までとても把握できず。今回落ち着いた状態で鑑賞すると
狂いなき脚捌きや感情をごく自然に乗せながらの回転で一瞬で人々を惹きつける力を備え好印象でした。
砂埃が舞い生活感息付く空間での進行に興味は尽きず。例えば幕開け最初にスクリーンに登場し目に留まるのは
人間ではなく鶏さんたちで、向かって左側にて何かを啄んでいる姿が日常生活の前面押し出し効果大です。
ただマキューシオだったか、瀕死状態の緊迫感ある場面においても傍でコッココッコとお食事に勤しんでいたのはご愛嬌。
2幕冒頭では噴水らしき建造物に止まった鳩がロミオたちに先立って観客をお出迎え。しかも色味が白く2羽でしたから
もしやアシュトン振付『二羽の鳩』へのオマージュか。いくら英国バレエ映画とはいえ
わざわざ英国が生んだ二大巨匠無理矢理融合そんなわけはない。それはさておき舞踏会の立食テーブル近くに佇む犬を始め
鶏さんや鳩さんたちも重要な演者として位置付けられています。
いわゆる舞台袖に入る行動もないため、移動しながらの舞台展開も面白さの1つ。
舞踏会の前半、騎士の踊りの音楽あたりでは夕暮れ時の野外で厳粛に踊られ一段落すると一斉に隣の階段を下りて移動。
後方には立食テーブルが置かれ、柑橘類の果物の盛り皿が良き彩りとなっていて同じ野外であっても明快な舞台転換を思わせます。
決闘での階段駆け上がりやぐるぐると路地を縫うように追い詰め合い、街の人々もなだれ込んでくる展開にも手に汗を握り
籠に詰められたじゃがいもらしき野菜も騒ぎに呑み込まれてひっくり返り大崩壊。
絶命まっしぐらなティボルトを天候も共に嘆くかのように豪雨が降り始め、泥臭い修羅場と化したのも映画ならではの演出でしょう。
身なりの汚れなんぞ目に入らぬキャピュレット夫人の打ちひしがれた悲しみが焼き付く幕切れでした。
それから長年立っての願いが叶ったと唸らせたのは舞台上では描かれていないときのキャラクターたちの行動。
当ブログでもしばしば妄想を綴っておりますが、そこかしこに散りばめられていたのは喜ばしい構成でした。
中でも印象に残ったのは2幕にて街のお祭り騒ぎが最高潮に達しつつある段階でのティボルトの様子。
既に家で自棄酒か、その勢いのまま割り込んで和を乱す流れに納得です。命を落としたティボルトの遺体が運ばれる場面もあり。
また時間は戻りますが、舞踏会でジュリエットが隙を見てロミオと2人きりになろうと仮病演技をする箇所での
茂みに隠れたロミオの行動も映されていた点も嬉しく、ジュリエットのわざとらしい仮病がキャピュレット家に通じ
一部始終を眺めていた張り込み中の仮面ロミオ刑事、思わず口角上がってニヤリ。
(勿論全編通してではあるが、特にこの場面は2019年10月20日昼と27日の新国立劇場に登場したロメオで観てみたいと欲が募ります笑)
手にしたのはあんパン、ではなくジュリエットの揺るぎない愛であったのですから
危険と隣り合わせな状況もなんのその、幸福も絶頂であったに違いありません。
映画であるためより無防備に、自然な描写も特徴で3幕の寝室場面はなかなかの露わな格好で布団に潜る2人が映されながらの展開。
オリビア・ハッセーとレナード・ホワイティング主演の1968年の同名映画を想起させ懐かしさが沸き上がりました。
ジュリエットが特段バレエらしいがっちり固めた髪型ではなかったため
ほつれ髪もまた激動の短期間を生き抜くヒロインを色濃くしていたのでした。
先に触れた内容と重複いたしますが、映画の『ロミオとジュリエット』と言えば、
フランコ・ゼフィレッリ監督が手がけオリビア・ハッセーが主演を務める
1968年制作同名映画に昔から魅了されており、今もなお好きな映画上位6本に入っているほど色褪せぬ名画。
※ちなみに他の5本は『サウンド・オブ・ミュージック』、『トリスタンとイゾルデ』(フランコ/マイルズ主演)、
『天空の城ラピュタ』、『風の谷のナウシカ』、『Shall we ダンス?』。
まさに人々の息遣いが飛び交い、砂や泥、石畳が敷かれた路地や重厚な建造物に囲まれたあの世界の中でバレエが踊られたらと
しばしば想像を巡らしていた為、いたく喜ばしい企画でした。
ハッセーの映画『ロミオとジュリエット』で今も忘れ難いのは、図書館で見つけた映画音楽大全集CDにて
ニノ・ロータによるテーマ曲を繰り返し聴いたり音楽やヨーロッパ全般の衣装デザインや
建築に興味があった経緯もあり、全編をきちんと見ようと会員カード更新手続き特典である
1本無料レンタルサービスを利用して近所のレンタルビデオ店から借りてきたときのこと。
ちょうど寝室場面に差し掛かり、今回のバレエ映画『ロミオとジュリエット』とは比較にならぬほど
喘ぎ声といい肌の晒し方といい大胆に描写された場面に思春期の管理人が仰天していると、
気づけば帰宅した妹がランドセルを背負ったまま、あたかも学校教材の映像でも見るかのように
真面目に見ていたものですから二重に驚愕。しかし見終えると作品そのもの、
とりわけ衣装のデザインに興味津々な様子であった妹が他の場面も見たいとせがみ
ならば早送りしつつ最初からもう一度姉妹で鑑賞。ベルベットを多用した緻密で重厚な衣装の数々を何度も凝視していた妹でごさいました。
思えば幼い頃から絵を描くことが大好きであった妹はバレエを観に行ってもダンサーや音楽よりもまず衣装や美術装置観察に集中していたため
(現在もこれといって好きなバレエ団はないそうだが、興味を示すか否かは衣装デザインが判断基準らしい)
衣装の観点から作品に入るのも頷けた次第。小さな子供向きの場面ではないからと即座に停止操作をして
見せないようにしようと考えが過った自身が恥ずかしくなり、作品との向き合い方を学んだ義務教育終了間近の管理人でした。
今も、例えば『マノン』や『アンナ・カレーニナ』のような大人向きと紹介されがちな作品上演の会場に子供がいてもさほど驚かず、
仮にあらすじがよく理解できなくても振付、音楽、衣装、美術といった様々な要素のどれか1点でも気に入り心に残ってもらえたらと
子供の頃に通っていた、鑑賞を懸命に奨励していたバレエ教室の先生の言葉を思い出します。
後日訪れた北海道イタリアンで当ブログレギュラー大学の後輩と乾杯。
英国ロイヤルバレエ版映画『ロミオとジュリエット』を観たかったようで、内容や感想を語って参りました。
可愛らしい店名もポイントです。
中札内鶏の”白雪”シーザーサラダとズッキーニと帆立、サーモンのクリームパスタ。
パスタの見かけは少なめですがしっかりクリームが絡んでおり具もふんだんに入っていてボリューム満点。
サラダの名称からは3年前に実質初めて観た子どもバレエ『しらゆき姫』を思い出し
いくら子どもバレエと言ってもナレーションや台詞が多過ぎると賛否両論ありましたが私は少数派であったがかなり気に入った。ケホ!
マルゲリータピザ。2人分であっても想像以上に大きめでしたが生地は薄く、ソースはトマトの味がしっかり効いていて難なく完食。
ふわふわ蕩けるティラミスとがっしりと固められたカタラーナ。
苦味強く濃いめに淹れたダブルエスプレッソと相性抜群です。
昨年の新国立劇場での鑑賞時にティラミス発祥はヴェローナ説とビュッフェの解説に記されていた気がいたします。
カタラーナを目にするとバレエについてもっと語らーな、と毎回心の中で呟く管理人。
今後とも皆様、どうか懲りずにご訪問お待ち申し上げます。
2020年3月10日火曜日
当日に決定が下された突如の千秋楽 新国立劇場バレエ団『マノン』2月22日(土)〜2月26日(水)
2月22日(土)から26日(水)、新国立劇場バレエ団『マノン』を計3回観て参りました。
当初は5回公演の予定でしたが新型コロナウィルス感染拡大を懸念し26日(水)当日に残り2回公演の中止が決定。
突如26日(水)が千秋楽となりました。
https://www.nntt.jac.go.jp/ballet/manon/
【2/22(土)14:00】
マノン 米沢 唯
デ・グリュー ワディム・ムンタギロフ(英国ロイヤルバレエ・プリンシパル)
レスコー 木下嘉人
ムッシューG.M. 中家正博
レスコーの愛人 木村優里
娼家のマダム 本島美和
物乞いのリーダー 福田圭吾
看守 貝川鐵夫
高級娼婦 寺田亜沙子 奥田花純 柴山紗帆 細田千晶 川口藍
踊る紳士 速水渉悟 原健太 小柴富久修
客 宇賀大将 清水裕三郎 趙載範 浜崎恵二朗 福田紘也
【2/23(日)14:00】
マノン 米沢 唯
デ・グリュー ワディム・ムンタギロフ(英国ロイヤルバレエ・プリンシパル)
レスコー 木下嘉人
ムッシューG.M. 中家正博
レスコーの愛人 木村優里
娼家のマダム:本島美和
物乞いのリーダー 福田圭吾
看守:貝川鐵夫
高級娼婦 奥田花純 柴山紗帆 細田千晶 渡辺与布 川口藍
踊る紳士 速水渉悟 原健太 小柴富久修
客 宇賀大将 清水裕三郎 趙載範 浜崎恵二朗 福田紘也
【2/26(水)19:00】
マノン 小野絢子
デ・グリュー 福岡雄大
レスコー 渡邊峻郁
ムッシューG.M. 中家正博
レスコーの愛人 木村優里
娼婦家のマダム 本島美和
物乞いのリーダー 速水渉悟
看守 貝川鐵夫
高級娼婦 池田理沙子 渡辺与布 玉井るい 益田裕子 廣田奈々
踊る紳士 速水渉悟 原健太 中島駿野
客 宇賀大将 清水裕三郎 趙載範 浜崎恵二朗 福田紘也
嬉しいことに、公演の様子が一部フェイスブックにて映像公開されています。是非ご覧ください。
米沢さん&ムンタさん 寝室
https://www.facebook.com/150537605092987/posts/2006985912781471/
米沢さん マノン2幕ソロ
https://www.facebook.com/150537605092987/posts/2006987192781343/
米沢さん&ムンタさん 沼地
https://www.facebook.com/150537605092987/posts/2006987686114627/
2月26日(水)カーテンコール
https://www.facebook.com/150537605092987/posts/1999056310241098/
※3回公演でしたが、大変長い感想でございます。まとまり、ございません。
鑑賞予定の舞台が中止となったなど、お時間のある方はどうぞお読みください。
世相が大変な最中に読む気になれぬとお思いの方は恐れ入ります、
予定が次々と飛んでおり内容未定ではございますが次回まで今しばらくお待ちください。
ひとまずは罰としてレスコーによる背後からの締め上げに遭わぬよう気をつけて過ごして参ります。
(26日のレスコーならむしろ歓天喜地か、或いは泥酔の介抱なら喜んで。いやそういう問題ではない)
米沢さんは純愛路線なマノン。2幕でのデ・グリューとGMの狭間で揺れる場では
デ・グリューからの求愛に泣き出しそうな表情で拒絶したりと
豪奢な生活に憧れ、心の内は揺れているとはいえデ・グリューへの愛の方が強かったであろうと想像いたします。
マノン像でしばしば挙がる「魔性」要素はやや控えめな、だからこそ少しでもGMに心が傾きかけると
デ・グリューではなくても慌てふためいてしまいそうな、掴みどころのない部分も含め魅惑的な少女でした。
目にしたものに心惹かれるとすぐさま走ってしまう流木の如く右へ左へ流されてしまうマノンで、
例えば首飾りをかけられた際にははしゃぐ行為を抑えるように喜びを表してうっとり目線。
異質な程に優等生なムンタギロフデ・グリューと共に危険行為に少し手を染めるだけで悲劇を予期させ
だからこそ終盤の沼地が一層ドラマティックに爆発していた印象です。
ムンタさんはこれまで新国立では『ジゼル』、『眠れる森の美女』、『白鳥の湖』、『くるみ割り人形』など
度々客演していながらいわゆるきらきら貴公子の印象ばかりが先行しておりましたが
(バレエ団ファンとして如何なものかとご指摘を受けそうだが、NHKでテレビ放送された
2015年の米沢さんとの白鳥の湖は未だ冒頭しか観ていない)今回は全く異なり、内側から迸る熱さに仰天。
1人異質なほど光り輝き小綺麗であったため紐で十字に縛った古びた書籍を持つ姿は違和感が残ったものの笑
寝室での喜びに満ち溢れた伸びやかな脚のラインや沼地での身体の奥底から突き出す感情など
容姿の麗しさのみにとどまらぬ魅力全開。作品を踊り込み、役も似合い、更には世界中で引っ張りだこな旬のスターダンサーで
その上、娼婦や物乞いといったあらゆる役柄を務めるダンサーとの細かなやりとりも手を抜かず
初台に溶け込みつつ舞台全体をしっかり見渡しながら臨む姿勢に脱帽。
この状況下に予定通り来日を遂げたムンタさんには感謝の念が尽きません。
基本バレエ団のダンサーのみで賄って欲しい派ではございますが、今回ばかりはムンタさんのデ・グリューと
米沢さんのマノンの共演、新国立バレエとの化学反応に居合わせたのは誠に幸運でした。
2幕でGMのもとへ行きそうになるマノンを求める場面での見上げるところにて
子犬のような目で見つめる眼差しに、ああ世の女性陣はこの目に蕩けるのかとロイヤルシネマのときと同様納得。
私も20年後くらいにはムンタさんのような往年の少女漫画系貴公子の虜となるのかもしれないと
未来予想図を描画いたしましたが、ある知人曰くそう簡単には私の好みは変わりそうにないらしく
20年だろうが30年だろうが年月を経ても着物が似合う人しか好みそうにないと武士の如くバッサリ斬られた管理人でございます。
米沢さんムンタさんの讃え合うパートナーシップ構築にも感激し、恐らくは本能のままに物事を判断して流木の如く
右へ左へと流されやすくデ・グリューと戯れる際には金銭なんぞ一切忘れて無邪気にすら感じさせるマノンと
そんな後先や損得を考えず飛び込んでくるマノンを全身で受け止め一身に捧ぐデ・グリューが交わす愛のドロッとした濃密度は低く
ふわっとしたマノンとドラマ性もありつつもきらきら貴公子な趣あるデ・グリューであるためか
この作品にしては澄み切った爽やかさを思わせ、絵でいえば水彩画。
例えばじっと見つめ合う場面においては互いに交わす視線がぐっと強まっても
揺らめく水面のような透明感に包まれ、周囲からは一線を画した純愛少女漫画な2人と化していた気がいたします。
マノンの肢体がバラバラに壊れ崩れそうな脆さが前面に出て、最後の最後までマノンを呼び起こそうと
デ・グリューの叫びが響き渡っていた沼地も圧巻。
木下さんのレスコーはムンタさんと身長差があるとはいえ無遠慮に迫る熱演。
1幕終盤の金銭での解決を提案する箇所でのデ・グリューの今にも締め上げられそうな苦しい表情からも
レスコーの追い詰めのおっかなさを物語っていた印象で
愛人との酔っ払いパ・ド・ドゥも、急斜なリフトを始め滑らかなサポート職人芸はあっと唸らせました。
ただ全体を通してみるとやや忙しない印象が前面に出てしてしまい、昨年の『ロメオとジュリエット』マキューシオや
今年のニューイヤー・バレエDGVでの完全に役を自身のものにした鉄壁ぶりであったため
期待値を高く掲げ過ぎてしまったためかもしれません。
小野さんは白い帽子に淡い水色の清楚な装いであっても登場時から危うさを孕んだ視線にどきりとするマノン。
流されやすさとは無縁そうな、物事を目の前にするとまず一呼吸置いて損得を巡らせてから決断しているであろうしたたかなヒロインでした。
初挑戦の2012年はゲネプロ写真での2幕にてGMを見据える姿からして仰け反りそうなほどの魔性に同性であっても震え上がりましたが
8年前よりも更に色気も増していた印象。脚先指先から魔力を振り撒き、一寸の隙も与えぬ強さに
デ・グリューではなくても抗えないと説得力を持たせていました。
全編通して視線と踊りが一体化した姿に目を見張りましたが、特にGMとレスコーとのトロワでの
艶かしく揺れる肢体と磁力で吸い付くような視線が同時に浮遊したときの蠱惑的な姿が強烈に刻まれております。
GMから首飾りを装着させられたときの子供のような純粋な憧れを露わにした米沢さんに対して
小野さんは私にこそ似合う宝石であると冷静さを保っていた様子であるなど
お2人ともマノンの捉え方が全く違うからこそ見比べが何倍も面白く、複数キャスト鑑賞の醍醐味を堪能。
どちらが良いか否かではなく甲乙付け難いヒロインであったのは間違いありません。
思わず目を覆いたくなる場面ながらこの作品を観る上で必ず注目する、看守からの迫りにおいても
お2人ともわざとらしさが無かった点も高評価。余りに残酷さのある行為をされた後では何もかもが体内から抜け落ちた状態となり
もはや泣く気力もないと思うのです。仮に未遂であったとしても恐怖感に苛まれて身体の制御も思うようにいかないでしょうし
ましてや未遂ではないのは振付からも見て取れますし密閉された空間ですから尚更でしょう。
大泣きすることもなく、横たわったまま目が虚ろになっていた表情が
自然な流れに映ったのでした。途中、一瞬看守の身体が離れたときには
ようやく訪れた束の間の安息の時間にほんの微かな笑みが覗いていた点も実に真実味ある表現でした。
福岡さんは朴訥とした神学生デ・グリューで紐で縛った古書を手にする姿がいたく自然な苦学生。(これ大事)
娼婦たちにからかわれても戸惑っておろおろしたり喜怒哀楽がはっきりしない反応がまた
社交的でなく勉強一筋であったであろう生真面目学生であると窺える登場でした。
驚くほどに若くあどけなさがあり、昨年の『ロメオとジュリエット』ティボルトと同じダンサーにはとても見えず。
ロメジュリのときはロメオの渡邊さんと並べば福岡さんティボルトのほうが力も年齢も上回っていたのは明らかでしたが
今回は力関係が見事なまでに逆転。デ・グリューとしていかに振る舞うか魅せるか、しっかり心得ての表現であったと見受けます。
2幕でのマノンの心を取り戻そうと訴えるソロは嘆きにも感じさせる悲痛さがあり
見るからに計算高く魔性な少女を再度目を向けさせるのは容易でないと思わず感情移入。
沼地でのふらつくマノンを支えようと全てをぶつける熱さも凄まじく、壮絶な幕切れへと繋がっていました。
福岡さんといえば、デ・グリュー初挑戦直後の2012年秋に開催された朝日カルチャーセンターにおける
バレエ評論家守山実花先生との対談にて、1幕の寝室のパ・ド・ドゥ映像をご覧になりながら
佳境に差し掛かったあたりにて「彼はまだ知らないんです。この後の修羅場を…」と語って場内大笑い。
続けて「(GMたちが)もうドアの前に到着する頃です」とご自身の役を俯瞰的に実況解説されていた通り
まさかの展開にあれよあれよと呑み込まれていくデ・グリューを一段と精度を上げて踊られていた再演でした。
※まだまだ続きます。小休止をどうぞ。
渡邊さんのレスコーは見た目は癖者ではなさそうな人物ながら金銭が絡むと途端に成り上がりな面を見せ、
GMとの取引確定後は一層ギラギラ。酔いどれソロ、愛人とのパ・ド・ドゥともに体当たりで笑いも起こり
酒癖女癖が悪くても憎めず助けたくなる人物で、昨夏八王子市でのバレエナウさん発表会における
貝川鐵夫さん振付『長靴を履いたネコ』での魔王を除けば(何体ものぬいぐるみを奪い、子猫たちを連れ去るほのぼの系悪役)
本拠地では初披露の色悪な役に心酔いたしました。
実のところ、リハーサル映像を見た際にはさらっとしていた印象を持ってしまっておりましたが
本番では大化け。色気や怖さもありつつ物乞いとつるむときはやんちゃであったり
GMにはわざとらしく礼儀正しく接したかと思えばお金が入る筋道ができそうと確信するとニヤリと笑みが零れたりと
全身からレスコーが持つ様々な表情が伝わる人物でした。レスコーがこうにも頭の回転が早く行動力もあり
GMと物乞いの間を行ったり来たりと咄嗟の判断力も兼備しているとは初めて知った次第。
しかもあらゆる素早い行動の畳み掛けも忙しそうに感じさせず、空間の使い方が大きく余裕ある行動に見せていた点も惚れ惚れ。
GMの時計を盗んだ物乞いリーダーをGM本人の前に犯人として突き出した際にはリーダーに感情移入して思わず裏切り者かと
訴えそうになりましたが、瞬時の交渉で時計は返却させて代わりにリーダーは金銭入手。やり手過ぎるレスコーに今更ながら驚倒です。
スパイスイープラスでのインタビューで楽しみが一層増していた、1幕終盤でのデ・グリュー締め上げは
単なる脅迫や威嚇ではなく、お金があれば全ては上手く回るのだから受け入れて欲しいと
懸命に語りかけるように迫っていた点も好印象。
役柄の設定が近衛兵であると考えると元は協調性も少なからずあるであろう真面目な青年でしょうから
ただ品悪く拷問のような幕切れにしなかったのは非常に説得力があると感じました。
他の場面も含め一生懸命演じようとせず、ぶっ飛ぶところは存分に飛び上がり
即座に転換して千鳥足気味の箇所に至るまでメリハリある踊りと酔っ払って高揚した感情が
自然と融合して解き放つ見せ場となっていた酔いどれソロや
振付上では危なっかしいリフト満載で、酔った設定であるためふらつきながらも実際は盤石且つ大胆に魅せていた、
バタンと絶妙なタイミングで倒れ込んでは笑いも誘っていた愛人との酔いどれパ・ド・ドゥにも心より喝采。
木村さんとはぶっつけ本番に近い状態であったであろう事情も一切感じさせず、パ・ド・ドゥのみならず
隅っこでの熱々ほろ酔いな細かなお芝居からも片時も目を離せず魅了されました。
レスコーと言えば遡ること昨年の夏、パリ・オペラ座バレエ団精通の方より教えていただいて
1990年の『マノン』映像を鑑賞し(のちにバレエチャンネルさんのインタビューで渡邊さんも語っていらした映像)
マノンがモニク・ルディエール、デ・グリューがマニュエル・ルグリ、そしてレスコーがカデル・ベラルビで
愛人がマリ=クロード・ピエトラガラという黄金キャスト集結公演でした。画質は上等とは言い難いながら
基本マクミラン作品は本拠地英国ロイヤルバレエの舞台が好ましいと考えがちな
私の思い込みを打ち飛ばされる文句の付けようがないゴージャスな舞台に驚嘆。
とりわけトゥールーズのキャピトル・バレエ時代の渡邊さんを自身のオリジナル作品に次々と抜擢して鍛え上げた
現在も同カンパニーの監督を務めるベラルビさんレスコーの整い過ぎた翳りのある色男ぶりには
悲鳴に近い歓声を上げそうになり、少数派であるのは承知で申しますとこれはヘナチョコなデ・グリューよりも(失礼)
俄然色悪レスコーをベラルビの教え継承者の渡邊さんで観たいと願い始めたのでした。
ひたすら色男或いは冷酷無比といった両極端な印象が先行していた従来のレスコーとは一味も二味も異なった造形で渡邊さんは挑まれ
物乞いからも慕われる人気ぶりや酔っ払ってだらし無い(失礼)体勢で
愛人の手を掴みながら居眠りしていても、立ったまま顔に手を当て酔いを醒まそうと試みていても
(立ったままの項垂れは現代の職場の宴会においても開始から1時間半程度過ぎると1人はいるであろう、幹事泣かせな参加者。
ちなみに私はとある集まりの食事会で毎回幹事を務めており、日時や会場などの事前通知の際には
酔っ払いの介助介抱はしない、飲酒は自力で帰宅可能な程度の量で願うと必ず文書で通達する
優しさ欠如の幹事であるが、このレスコーなら特例措置決行間違いない)
憎めぬ愛嬌など多彩な魅力を場面ごとにまこと鮮やかに体現。悪人だけにとどまらぬ
豪胆で容赦無く怖いもの知らずで逞しく男らしい面もあれば、取引に利用しているだけかもしれないが
物乞いとも交われる親しみ易い面もあり、こうにも人間味豊かで深みもあるレスコーには初めてお目にかかりました。
妹を金銭闇取引に利用する上に多少酒癖や女癖が悪くても憎めず助けたい心持ちにさせられたのは不思議なもので
(現代ならば警察通報級の荒くれダメ男ですが笑)最期GMに向けた、瀕死の状態でも尚のし上がりたい野望を募らせた
憎悪の視線にも慄き、悲願であった新国立初披露の色悪な役に酔い痴れました。
人脈作りも上手く頭のキレも良く、金銭の回り方の仕組みを把握し経営能力も備えていそうですから
現代ならば一代で年商数十億単位の会社を築き行き着く先は若きやり手の社長としてカンブリア宮殿にも出演となるのでしょうが
まだまだ身分差の壁を越えられぬ時代であった点が惜しいところ。
それはさておき、26日の公演は上演できるか否かぎりぎりまで判断を迫られたかと察しますが
渡邊さんのレスコーを1回だけでも鑑賞できて安堵。目当ての役柄が同じ者同士、半泣き状態で喜び合った幕間でございます。
それから今回もやります、髪型考察。仮にぺったり七三分けであったとしても、付け毛とリボン効果で
洗練されたフランス人と化すのは2011年のバーミンガムロイヤル来日公演眠りでのツァオ・チーさんが証明してくださっていますが
(勝手に付け毛マジックと呼称)即座に二重丸。前髪も整え過ぎず自然なままで、
リハーサル動画にて装着可能であるのか不安も些かあったこざっぱりとした短髪であっても
付け毛も外れず。毎度思いますが、洋装(但しフリルやレースものは除く)と和装両方が容姿と調和して絵になる方は稀少でしょう。
手を合わせて愛でるしかない古風で端正、今回は野心や狡猾さを含んだ横顔も美しや。
驚きに拍車をかけたのは小野さんマノンと渡邊さんレスコーの兄妹ぶり。
顔は似ていない、実際には親族でもないながら兄妹の関係がはっきりと見て取れたのです。
計算高く物事をまずは損得の観点で捉えるのであろうしたたかさの方向性が同じで
恋愛関係ではなく兄弟姉妹の役においてぴたりと嵌る例はそうそうありません。
恐らくは両親を早くに亡くしたか事情で孤児院に預けられていたのか、或いは親族に預けられたとしても冷たい扱いを受けていたか
貧困に耐えながら兄妹身を寄せ合い知恵を絞り合い裕福になる決意を固め、そのためなら手段を選ばず金銭を稼ごうと
手を取り合っていた子供時代が自ずと浮かんできます。兄ちゃん手堅くまずは近衛兵に就職、の人生計画にも納得。
バレエで兄妹の役といえば日本その他アジア諸々を舞台にした『パゴダの王子』が新国立にて眠るレパートリーとしてありますが
大衆演劇風なテカリ和装とはいえ王子の衣装は間違いなく似合うでしょうが
裸体坊主頭でアヘン吸引の中国や銃所持の米国、といった東西南北の王の設定の受け止めがどうにもこうにも困難であり
妹のさくらで共通するならば映画『男はつらいよ』バレエ化の方が望ましい、マドンナは本島さんで決まりとは綴っても
客入りは見込めても容易には叶わぬのは目に見えておりますので次行きます。
身体の奥底から黒々とした嫌らしさを放出する中家さんのムッシューGMも舞台に厚みを加え、
マノンの脚を舐めるように摩る仕草が耐え難いぐらいに気色悪く(褒め言葉です)
取引成立間近なレスコーから静止されかけるのも無理はない、徹底した好色ぶり。
しかしバレエチャンネルさんでの中家さんへのインタビューのお話が今回大変参考になり
成金であるため正式なパーティーには出席できず娼館や街中では偉ぶっていることや
お金さえ払えば物事を解決できると信じている点を踏まえた上で鑑賞すると
ただの嫌らしい親父とは思えず。羽振りが良いときの金銭ばら撒きなんぞ憎めないご満悦な表情でした。
代わりに導火線が点火するとああおっかない。賭博でのイカサマを見抜くと
星一徹も萎縮するであろう卓袱台ではなくテーブルひっくり返しで、レスコーの酔いがすっかり醒めるのも
後にも述べるが間抜けとは分かっていてもテーブルを盾にして隠れたくなるレスコーの行動も当然の流れと思わせる雷落としです。
レスコーの愛人の木村さんはソロにおいては色気はあれど初日と2日目はやや初々しさや可愛らしさがまさってしまい、
娼婦たちを率いている光景も弱く感じてしまったときもありましたが
レスコーとのパ・ド・ドゥでは木下さんの好サポートもあり、宙ぶらりんになった状態で不安がる表情で笑いを起こしたりと健闘。
唸らせたのは26日で、開演直前に当初の愛人役寺田亜沙子さんが降板し急遽木村さんが登板。
キャスト変更の事情で開演が20分ほど遅れる旨が緞帳前に立ったスタッフによる説明があり、
リハーサル動画を見る限り小野さんマノンの日は女優役つまりは腰掛けて広場を眺めていたりと踊る箇所が無いに等しい役柄を予定していて
大急ぎで着替え鬘も装着、格好のみならず身体の準備も数分で行っての出演はさぞ緊張を強いられたのは容易に想像がつきます。
しかし急遽登板とは微塵も感じさせず、むしろ初日と2日目よりも吹っ切れていた印象すら抱かせ
1幕での重厚感のあるソロでは魔物が潜んでいそうな視線の送り方や身体を捻りながら手を差し伸べて気を惹く仕草に至るまで
2幕ではまた娼婦たちを従えてショールを両手に回転するだけでも色香がふわっと舞い上がり
貫禄までもを備え、いたく驚き嬉しい役への入り込みでした。
人気を博す華やかな娼婦とはいってもレスコーへの愛が一途な面はいじらしく、
少し他の男性と話していただけでレスコーの嫉妬を買い、腕を無理やり引っ張られた挙句に顔を叩かれてもついていく姿に
現代であれば荒くれ駄目男に分類される対象であっても、金持ちではないながら金銭を稼ぐ術に長けていたレスコーは
心身の拠り所であったのでしょう。しかも娼家を訪れる客よりは遥かに貌も宜しい男性ですから
一見華やかで豪奢な装いで振る舞ってはいても内心は縋る思いで尽くしていたに違いありません。
加えて腕っ節も強そうとなれば、治安も良好ではない物騒な社会においては用心棒として傍らにいて欲しかったのかもしれません。
1幕序盤での、嫉妬に燃えるレスコーによって強引に囚人たちの前に放り出されたのは
下手な真似をするとどんな運命が待ち受けるのかを明示するレスコーからの戒めとも見て取れます。
娼家のマダムは本島さん。まだ娼婦としても務まるであろう美貌なマダムで、踊る箇所が殆ど無い点が惜しまれるものの
腕を一振りしただけでも舞台をぱっと引き締める支配力や娼婦に耳打ちするときの表情ですら妖艶で
舞台の何処にいても目を惹く人物。2幕ワルツでのレスコーとの世にも華麗なるおしくら饅頭には笑い転げてしまいそうでした。
ところで、隙なく完璧な構成展開である作品と捉えていながら意外にも突っ込みどころや疑問もいくつか目に留まり
例えば金銭が入っていると思われる第1幕でのマノンの鞄で、小ぶりであるのは分かるのだがどう見ても大家さんの集金用の鞄。
視界に入るたびに笑いが込み上げて困ったものです。貴重品ほど見かけは拍子抜けする物に保管するのであろうかと
アトランタとシドニー五輪で2連覇(のちアテネで3連覇)を果たした柔道の野村忠宏さんが
2大会で獲得した金メダルを入れていた鞄を大家さんの集金袋と司会者に突っ込まれていたテレビ放送を思い出します。
思えばGMやレスコーが金銭入れに使用している巾着袋も妙に可愛らしい気がするが。(お財布の歴史を辿ると面白いかもしれぬ)
それから2幕でのデ・グリューとレスコーの関係性と衣装。1幕終盤で恐怖の目に遭わされた相手であるレスコーを
妙に小綺麗な服装で決めたデ・グリューが介抱していた点も飲み会で悪酔いした上司を支える部下のような絵で謎であり、
レスコーが娼館に入る前から泥酔していた点も疑問が残る設定の1つ。
直前にGMから受け取った金銭の使い道をデ・グリューはよそ行き服購入、
レスコーは酒代に注ぎ込むと話し合いは成立したのか想像が巡る場面です。
そしてレスコーは娼館到着前の何処かのお店でワインをボトルで注文し、連れのデ・グリューの心配も声にも耳を傾けず
呑みの歯止めが効かずに遂にはボトルを死守したまま退店して娼館へ、といった流れだったのか妄想は止まらず
散々な目に遭わされても愛する少女の兄のためなら誠心誠意尽くすデ・グリューの健気なことよ。
それから壁激突が心配にもなる、演奏の決め音とぴたりと合う寝室のパ・ド・ドゥ後に起こるマノンのベッド飛び込みや
2幕の幕切れでの絶命すれすれな状況ながら倒されたテーブルを盾にして隠れる
強気から一気に大転落のレスコーの必死ぶりもいかにも本能で出たと思わせる行動です。
加えて直後、マノンとデ・グリューが和解の確認なるパ・ド・ドゥを披露している間に
レスコーはGMや兵士たちによる拷問を受けていたはずで、気づけばボコボコ傷だらけな状態で登場するため
舞台では描かれていない過程の部分も想像が巡って止まず。舞台登場時木下さんは救いを懇願し弱り果てていた様子で
対する渡邊さんは負けず嫌いな我を貫こうとひたすらGMの目を鋭く睨んでいてド根性で這い上がってきた感が死に際でも伝わり
両者とも異なる最期の表現の見比べがまたレスコーという人物への興味を一段と持たせました。
幕開けから貴族と物乞い、成金や女優が同時に登場する身分差格差社会の露骨描写が目に付き
身体を売る娼婦や闇取引、窃盗、と品位が欠如した要素ばかりが詰まっていて
好きになれそうにない、進んで観たいとは思えない方もいらっしゃるかもしれません。しかし心配は無用で
単なる退廃した社会、人間の負の部分を描いた作品にはとどまらずむしろどっぷり物語の世界に浸った心地良い印象すら残すのです。
時には身を売ってでも犯罪に手を染めてまでも生きるためにはそうせざるを得なかった人々の懸命さが胸を打つだけでなく
音楽もまた作品のスケール感を引き立て、場面ごとの情景をより鮮やかにさせ心に響かせる効果が実に大きいからであろうと再度推察。
オペラ『マノン・レスコー』からは抜粋せずマスネの様々な曲を組み合わせた構成が実に魅力で
人間の醜い部分をも躊躇なく抉り出した、あらゆる欲に塗れた濃密な作品を彩る
時に甘美で時に毒々しく残酷な場面状況や人物の感情にぴたりと嵌り、切り貼りした感が皆無で度々聴き惚れております。
基本、ドッカンとした迫力や大地の匂い、郷愁漂う曲調が多いロシア音楽好きではありますが
バレエ『マノン』における例え幸福な場面であっても悲しみを湛え悲劇の展開を予想させる
曲の数々はどれを聴いても胸が締め付けられずにはいられません。
少数派かと思いますが私が作品中で特に好きな場面や音楽は娼館でのどんちゃん騒ぎなワルツ。
音楽自体は壮大で美しい旋律ですが、館の中から溢れ出す情欲、金銭欲、性欲といったありとあらゆる欲が混沌と渦巻き
1曲の中での主旋パート楽器のめくるめく変化は次々となだれ込んできて踊り狂うレスコーや愛人、マダムから娼婦、紳士たちまで
絡み合う大勢の人々の欲望の連鎖そのもので、GMがお金をばらまいたりと細かな演出の組み込みもあり。
高笑いまでもが聞こえてきそうな場面ながら物哀しく響き、その直後のデ・グリューのソロに殊更悲哀を持たせていると思わせます。
バレエ音楽では我が3本の指に入るワルツです。
それから短時間ながら場面と状況変化を代弁していると殊更唸らせたのがレスコーの愛人の記述と重複いたしますが
1幕序盤にて男性たちと談笑していた愛人が、嫉妬したレスコーによって通り掛かる囚人たちの前に連れ出される場面での音楽。
レスコーの怒りと愛人の腕を引っ張っての顔叩き、続けて囚人たちの前から逃げようとして許しを乞う愛人の怯えと
これ見よがしに登場する女優たちの堂々とした歩調までもが音楽で緻密に表され、ほんの数秒の枠の中ですが
作品の冒頭であたかもこのために作曲されたと信じずにいられぬ光景を開演早々から目と耳で感じるひと幕です。
細部まで凝った衣装美術はどれからも目が離せず、1点1点じっくり観察したくなり
展示会が開催された暁には何時間でも居座ってしまうでしょう。
新国立では2003年の初演では英国ロイヤルやパリ・オペラ座が採用しているニコラス・ジョージアディスのデザインを、
2012年と今回の再演ではオーストラリア・バレエが採用のピーター・ファーマーの衣装を着用。
これまではファーマーによる1幕のマノンやデ・グリュー、2幕の娼婦たちのパステルカラーからなる衣装に違和感を覚え
よりクラシカルなデザインと渋みある色彩で整えられたジョージアディスのほうが断然好みでした。
しかしよくよく見比べて観察してみると、ファーマーの衣装のほうがしっくりくるデザインも何点か発見。
2幕の豪奢な装いのマノンは重厚なカチューシャ型ティアラや黒の七分袖衣装の金の刺繍や装飾の光沢にうっとり惚れ惚れし
淹れてから長時間が経過し茶柱の判別もつかぬ濁ったお茶色なんぞ当初は申していたレスコーの深緑も(大変失礼)
日によってはいたくスタイリッシュな着こなしに映ってこれまでの考えを覆され、
人間とはかくも身勝手な生き物であると3年前から何度書いているか分からぬが今回も心底感じた次第です。
マノンで思い出すのは、この作品を知ったのはバレエ鑑賞の開始から約7年後。
1996年ダンスマガジンABT来日公演記事がきっかけでした。スーザン・ジャフィーやアマンダ・マッケロー、
ニーナ・アナニアシヴィリがヒロインについて語るインタビューを読んだものの今一つ理解に至らず
まだインターネット音痴だった為バレエ作品に疑問があれば毎度頼りにしていた
図書館の書籍『バレエ101物語』にて調べたのは良かったが、原作者アベ・プレヴォーを
日系フランス人かと思い込んでしまい恥ずかしや。当時の管理人には作者もあらすじも難解だったわけです。
そして年齢を重ねて2007年春に初めて全幕を図書館の視聴覚コーナーにて英国ロイヤルのVHS映像で鑑賞。
主演はジェニファー・ペニーとアンソニー・ダウエルで、話も把握せずに観てはいたものの
劇的な展開には手に汗を握り、観終えると放心状態となったのは今も忘れられず。
同時にいつかデ・グリューを山本隆之さんで観たいと祈願したものです。(2012年に叶い感無量)
2003年の新国立劇場での初演は新聞記事で知ってはおりましたが足を運ばず終い、
今思えば酒井はなさんのマノンを鑑賞したかったと悔やまれます。
2月29日(土)、3月1日(日)は2回とも中止になってしまい滅多に上演できぬ作品で無念極まりないものの
観客そして劇場に携わる方々の安全を最優先した上での苦渋の決断であったでしょうし
状況を考慮すれば致し方なく、早いうちの再演を心より望みます。
突如当日に千秋楽と決まった26日(水)、三大バレエや有名古典バレエでもない上に
平日夜公演、新型コロナウイルスの感染関連の報道も連日なされた状況下で決して動員も順調ではない公演でしたが
カーテンコールは満員御礼公演と変わらぬ熱量。観客の拍手は、公演中止を余儀なくされ
ほぼ半減してしまった事態にこのままでは終われず、早期再演の実現を望みが込められ
長く熱いカーテンコールへと繋がっていたのでしょう。
そして次回は、歩き読書の登場時は二宮金次郎以上に生真面目純朴そうな学徒が
マノンとの出会いによって激流の如く破滅へと呑まれて行くさまを
起伏に富んだ心情の変化や登場人物との会話を全身から手に取るように伝え、
『ロメオとジュリエット』よりも遥かに人間の闇部分を突き詰めた濃密な物語の世界に引き込むのは間違いないであろう
渡邊さんのデ・グリューにお目にかかれるよう切に願っております。
入場すると机上の消毒液がお出迎え。
今回の公演限定ケーキはマノン役の米沢さんと小野さんが各々1種ずつ監修。
ケーキの解説文、しっかりと読んだ上でいただきます。ただ甘味を堪能するわけではありません笑。
読みつつふと浮かんだのは、コインに見立てた装飾でレスコー&GMの成り上がりケーキなんぞあったら尚嬉しい気がいたします笑。
今回のお三方ならばアイディア出し合って上質なケーキが出来上がるかもしれません。
右のチョコレートケーキは米沢さん監修の「マノンのドレス〜オペラ〜」。濃厚なチョコレートクリームや
コーヒークリームが何層にも重なっており、コーヒーによく合う味でした。
小野さん監修の「デ・グリューの愛の詩〜カルヴァドス風味のサバラン」。
甘さを抑え、お酒の味もさほど強くなくマノンの魔力に徐々に惹かれていくデ・グリューの心を映していると勝手に想像。
愛の詩と聞くと、響きからして映画『ある愛の詩』を思い出します。
一昔前はよく図書館で映画音楽大全集CDを借りては好んで聴いており
他にも『ドクトル・ジバゴ』や『ひまわり』、『風と共に去りぬ』、『太陽がいっぱい』、『シェルブールの雨傘』、E.T.など
CDを通して知った名作映画はかなり多い管理人でございます。
前半無事終演を祝い、黄金色に近い白ワインで乾杯。
『マノン』ほど金銭に執着する人物達が描かれたバレエ作品は他にないであろうと想像が巡ります。
ロイヤルアイスティーのカクテル。ハッピーアワーの価格に惹かれたが、3分も経たずに完飲。
管理人にはビールやワイン、ウイスキーやウォッカといった刺激と度数強めが合うらしい笑。
ハッピーアワーの文字につられて大きめのビール。特別英国作品の贔屓ではないが、マクミランやはり好きだ。
一昨年のロイヤルシネマでも妄想したが、いつかマイヤーリングも生で観たいものです。
心が歪み孤独に狂おしく突っ走るルドルフ皇太子が似合うダンサー、初台にいらっしゃいます。
ただ複数の女性と踊るパ・ド・ドゥがどれも過酷で怪我が心配になる役どころではあるが、観てみたいと夢は膨らみます。
26日に貼り出された中止通知。ウェブによる通知もまさにこの日の夕方でした。
リハーサル映像を見て寺田さんの愛人役も楽しみにしておりましたが、
怪我で直前降板。ご本人もさぞ悔しい思いをなさっていたかと察します。
そして急遽臨まれた木村さん、危うい箇所皆無でお見事でした。
カクテルサンプル。今回は公演限定レギュラーと26日(水)限定の2種類が登場。
夜空に、正確には窓ガラスに映った灯りと夜の甲州街道に映えるカクテルで乾杯。
26日(水)のみになってしまったが渡邊さん、初台では悲願の色悪役。そもそも注目する契機が、
トゥールーズにいらした頃の怪しい或いは粗暴なキャラクターを務める映像であったため、願って早3年超。
待望の役柄ようやく新国立劇場にお目見えです。
重厚濃厚なチョコレートとクリームが何層にも重なったマノンドレスケーキがいたく気に入ってしまい
この日は何ドルか分からぬ甲州街道の夜景を眺めながらいただきます。
千秋楽、マクミランさんに敬意を表してご出身地スコットランドのウイスキーで乾杯。
瓶の色がレスコーの衣装を想起させる点もポイントでございます。
尚私は大酒豪ですが、2幕のレスコー登場の如くボトルラッパ飲みの経験はございません笑。
但し最近、何本か購入し愛飲している福島県の造り酒屋金水晶さんの初しぼり酒を
いぶりがっこのタルタルソースをつまみに呑み始めると、1本空けそうになる事態に。勿論ラッパ飲みはいたしていませんが
酔いどれになってもレスコーの如く瓶を手に踊る行為による観衆魅了はできませんので管理人、呑み過ぎ要注意でございます。
2003年の新国立初演時のバレエ『マノン』リハーサル。マノン役は酒井さん、臨時のデ・グリューに山本さん!
新聞社名を失念してしまいましたが、2年後ぐらいに記事の旨を知り図書館に置かれている年鑑本からコピーした新聞記事です。
2020年3月6日金曜日
森下洋子さんが出演されたTBSサワコの朝
暫く更新が止まり申し訳ございません。
新型コロナウィルスの感染拡大を懸念して立て続けにバレエ公演が中止となり、
2月末から3月にかけて鑑賞のご予定が多数飛んでしまった方は大勢いらっしゃることと存じます。
私の場合は新国立劇場バレエ団『マノン』後半2日間、大和雅美さん福田圭吾さん振付演出のDAIFUKU、
スターダンサーズ・バレエ団『ウエスタン・シンフォニー』『緑のテーブル』、
牧阿佐美バレエ団『ノートルダム・ド・パリ』、Kバレエカンパニートリプル・ビルを鑑賞予定でおりましたが
中止となりました。ただ状況を考えれば致し方ないことと捉えております。
(延期と記載の団体もあり、心待ちにしております。今月末の新国立劇場Dance to the Future2020がどうなるか)
現在大型カンパニーとしてはパリ・オペラ座バレエ団が来日公演中ですが、上演に踏み切ったNBSも
出演者関係者そして何より観客の安全を守ろうと最大限に配慮しながら公演を続行していると思います。
未だ感染源も謎であり、これといった対策も見つからぬ状態で不安な日々が続きますが
とにかく1日でも早く収束するよう今は願うばかりで、できることを真摯に行って参りたいと考えております。
さて、以下はぼやきや呟きな記事でございますが悪しからず。
先週2月29日(土)、阿川佐和子さんが聞き手を務めるTBSサワコの朝を視聴いたしました。
ゲストは松山バレエ団の森下洋子さんです。
https://www.tbs.co.jp/tv/20200229_59DB.html
バレエを習い始めたきっかけやヌレエフとの共演など、既に何度もお話しになっている内容も含まれていながら
表情豊かに朗らかに語っていらっしゃるご様子が何とも生き生きとなさっていて、そしてシンプルな黒いパンツスーツを
さらりと着こなして歩くお姿も美しく、朝7時半から活力をいただいた思いです。
森下さんと言えば、言わずと知れた日本を代表する現役のバレリーナであり
誠に失礼ながら我が家に公演告知の葉書が届くたびに、いつまで踊られるのだろうか
ひょっとして生涯全幕現役として歩まれるのだろうかと手に取る度に考え耽ってしまうのですが
葉書が届くようになってから約15年。今もなお全幕の舞台で主役を踊っていらっしゃるのですから
賛辞を込めて、「怪物」としか思えません。今年は堀内充さんと共演の『白鳥の湖』全幕を控えていらっしゃいます。
http://www.matsuyama-ballet.com/newprogram/new_swanlake.html
森下さんの舞台を鑑賞した回数は少なく、2006年の『シンデレラ』と『ジゼル』の2回のみですが
松山バレエ団の独特な序列で気にかかる点はあれど(2006年鑑賞時は管理人が子供の頃と
さほど変わっていない序列に衝撃を受けたと記憶)豪華な美術装置衣装且つ人の雲海状態と化した舞台上においても
主役以外は考えられぬ人であると分かってはいても1人別格オーラな森下さんに驚愕したものです。
放送は偶々家族と一緒に視聴しておりましたが、森下さんが何か逸話を語るたびに管理人、補足事項を追加。
紹介された子供の頃の写真の作品や、通われていた学校、滝に打たれての精神統一や少女雑誌グラビアでの苦労
共演したヌレエフの口癖、ジゼルを決してか弱い少女ではないと解釈なさっていることなど
森下さんの根っからのファンではなく新書館の書籍やその他森下さんのインタビューで目を通して蓄積した程度の知識ですが
遂に家族が笑いながら放ったのは「マラソン解説の増田明美さんかい」。そして「その時代生きていたのかい笑」
ただでさえ新国立マノンの上演中止1日目の決して晴れやかではない朝、少しでもベクトルを前向きにと言わんばかりに
褒め言葉と勝手に受け止めたものの果たして良かったのか。よくよく考えれば私なんぞ
増田さんが持つ細かく豊富な知識量には到底及ばぬレベルですが
それはさておき趣味が30年以上不変であるのは時には役立つ日が訪れると胸に手を当て、
ささやかな幸福に浸った管理人でございました。
※ダンスマガジン編『バレリーナのアルバム』
新書館のホームページでは品切れ表示ですが、図書館によっては取り扱いあり。
カラーの舞台写真もあり、幼年時代からプロとしてのデビュー以降まで濃いお話満載のおすすめの書籍です。
写真のみであっても恋の喜びに溢れる少女の感情が伝わる森下さんのジゼルが表紙を飾っています。
https://www.shinshokan.co.jp/book/4-403-32006-6/
ちなみに、現在新国立劇場舞踊部門芸術監督の大原永子さんもご登場。
大原さんが落語好きであることやスコティッシュ・バレエの後輩となった下村由理恵さんに
カツ丼を振る舞っていた(カツ丼逸話は下村さんのインタビューにて紹介だったはず)と知ったのはこの書籍がきっかけでした。
残り2回公演の中止や2月26日(水)は開演直前のキャスト変更と続けさまに緊急事態に見舞われながらも
全員が心を尽くして挑んだ新国立劇場バレエ団2020年『マノン』総括は次回にて。
新型コロナウィルスの感染拡大を懸念して立て続けにバレエ公演が中止となり、
2月末から3月にかけて鑑賞のご予定が多数飛んでしまった方は大勢いらっしゃることと存じます。
私の場合は新国立劇場バレエ団『マノン』後半2日間、大和雅美さん福田圭吾さん振付演出のDAIFUKU、
スターダンサーズ・バレエ団『ウエスタン・シンフォニー』『緑のテーブル』、
牧阿佐美バレエ団『ノートルダム・ド・パリ』、Kバレエカンパニートリプル・ビルを鑑賞予定でおりましたが
中止となりました。ただ状況を考えれば致し方ないことと捉えております。
(延期と記載の団体もあり、心待ちにしております。今月末の新国立劇場Dance to the Future2020がどうなるか)
現在大型カンパニーとしてはパリ・オペラ座バレエ団が来日公演中ですが、上演に踏み切ったNBSも
出演者関係者そして何より観客の安全を守ろうと最大限に配慮しながら公演を続行していると思います。
未だ感染源も謎であり、これといった対策も見つからぬ状態で不安な日々が続きますが
とにかく1日でも早く収束するよう今は願うばかりで、できることを真摯に行って参りたいと考えております。
さて、以下はぼやきや呟きな記事でございますが悪しからず。
先週2月29日(土)、阿川佐和子さんが聞き手を務めるTBSサワコの朝を視聴いたしました。
ゲストは松山バレエ団の森下洋子さんです。
https://www.tbs.co.jp/tv/20200229_59DB.html
バレエを習い始めたきっかけやヌレエフとの共演など、既に何度もお話しになっている内容も含まれていながら
表情豊かに朗らかに語っていらっしゃるご様子が何とも生き生きとなさっていて、そしてシンプルな黒いパンツスーツを
さらりと着こなして歩くお姿も美しく、朝7時半から活力をいただいた思いです。
森下さんと言えば、言わずと知れた日本を代表する現役のバレリーナであり
誠に失礼ながら我が家に公演告知の葉書が届くたびに、いつまで踊られるのだろうか
ひょっとして生涯全幕現役として歩まれるのだろうかと手に取る度に考え耽ってしまうのですが
葉書が届くようになってから約15年。今もなお全幕の舞台で主役を踊っていらっしゃるのですから
賛辞を込めて、「怪物」としか思えません。今年は堀内充さんと共演の『白鳥の湖』全幕を控えていらっしゃいます。
http://www.matsuyama-ballet.com/newprogram/new_swanlake.html
森下さんの舞台を鑑賞した回数は少なく、2006年の『シンデレラ』と『ジゼル』の2回のみですが
松山バレエ団の独特な序列で気にかかる点はあれど(2006年鑑賞時は管理人が子供の頃と
さほど変わっていない序列に衝撃を受けたと記憶)豪華な美術装置衣装且つ人の雲海状態と化した舞台上においても
主役以外は考えられぬ人であると分かってはいても1人別格オーラな森下さんに驚愕したものです。
放送は偶々家族と一緒に視聴しておりましたが、森下さんが何か逸話を語るたびに管理人、補足事項を追加。
紹介された子供の頃の写真の作品や、通われていた学校、滝に打たれての精神統一や少女雑誌グラビアでの苦労
共演したヌレエフの口癖、ジゼルを決してか弱い少女ではないと解釈なさっていることなど
森下さんの根っからのファンではなく新書館の書籍やその他森下さんのインタビューで目を通して蓄積した程度の知識ですが
遂に家族が笑いながら放ったのは「マラソン解説の増田明美さんかい」。そして「その時代生きていたのかい笑」
ただでさえ新国立マノンの上演中止1日目の決して晴れやかではない朝、少しでもベクトルを前向きにと言わんばかりに
褒め言葉と勝手に受け止めたものの果たして良かったのか。よくよく考えれば私なんぞ
増田さんが持つ細かく豊富な知識量には到底及ばぬレベルですが
それはさておき趣味が30年以上不変であるのは時には役立つ日が訪れると胸に手を当て、
ささやかな幸福に浸った管理人でございました。
※ダンスマガジン編『バレリーナのアルバム』
新書館のホームページでは品切れ表示ですが、図書館によっては取り扱いあり。
カラーの舞台写真もあり、幼年時代からプロとしてのデビュー以降まで濃いお話満載のおすすめの書籍です。
写真のみであっても恋の喜びに溢れる少女の感情が伝わる森下さんのジゼルが表紙を飾っています。
https://www.shinshokan.co.jp/book/4-403-32006-6/
ちなみに、現在新国立劇場舞踊部門芸術監督の大原永子さんもご登場。
大原さんが落語好きであることやスコティッシュ・バレエの後輩となった下村由理恵さんに
カツ丼を振る舞っていた(カツ丼逸話は下村さんのインタビューにて紹介だったはず)と知ったのはこの書籍がきっかけでした。
残り2回公演の中止や2月26日(水)は開演直前のキャスト変更と続けさまに緊急事態に見舞われながらも
全員が心を尽くして挑んだ新国立劇場バレエ団2020年『マノン』総括は次回にて。
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