2020年3月25日水曜日

ボリショイ・バレエ in シネマ Season 2019 - 2020『ライモンダ』

3月18日(水)、ボリショイシネマ『ライモンダ』を観て参りました。
https://spice.eplus.jp/articles/265958





音楽:アレクサンドル・グラズノフ
振付:ユーリー・グリゴローヴィチ(原版:マリウス・プティパ)
台本:ユーリー・グリゴローヴィチ(原作:リディア・パシコワ)
出演:オルガ・スミルノワ(ライモンダ)
アルテミー・ベリャコフ(ジャン・ド・ブリエン)
イーゴリ・ツヴィルコ(アブデラーマン)


スミルノワは内面からの感情や顔の表情よりも空間を大きく使って繰り出される1つ1つのポーズの厳格なラインで魅せる崇高な姫。
1幕では若さ初々しさが大事と嘗てあらゆる作品にて主演を務めてきたマリーヤ・アラシュだったか
インタビューで話してはいたものの1幕から貫禄あり過ぎる姫君で
アブデラーマンの迫りにも怯えたり戸惑う様子もなく涼しい顔一辺倒な印象で、ライモンダの心境の揺れ動きや
幕ごとに成熟度を増していくさまは見えづらかった気もいたします。
しかし決闘に敗れた瀕死のアブデラーマンから目を逸らそうと恐怖感を募らせた後のアダージオは
敵国の男性とはいえ自らのせいで命を落とした姿を眼前にして心身が硬直していた姿からジャンの包容力によって
徐々に解れ落ち着きを取り戻す過程を優美で希望が見えるかのような旋律に乗せて丁寧に描写。
このアダージオが入っているのは誠に説得力があると毎回思え、1人の人間しかも自身を求愛した男性が目の前で亡くなった状況から
すぐさま心を切り替えてファンファーレでめでたしめでたしとはし難いと思うのです。(牧阿佐美さん版はファンファーレ賛美だが)
しっとりと愛を確かめ合い肩にもたれかかるような体勢のリフトのままによる幕切れはいたくロマンティックな風情を残し
3幕へと繋がっていました。いずれにしても近寄り難いほどに孤高で凛然とした風格に惚れ惚れし
今夏の東京シティ・バレエ団客演も今から楽しみです。

ベリャコフはなかなかの渋い男前で王子ではなくきちんと騎士に見えたジャン。(これ大事)
眼差し鋭く、マント捌きも颯爽としていてグリゴローヴィヂ版名物の1つである出征前の部下騎士らしき2人分従えての
勇壮なファンファーレに乗せたマントのトロワなる見せ場も絵になっていて宜しうございました。
但し、ベリャコフの責任ではないが真上から羽根らしき鋼が直立に装着されている兜の形状が
どうしてもラディッシュに見えてしまうのはどうしたものか。
それはともかく、人を寄せ付けないほどに気高いライモンダを振り向かせ心を開かせたのも納得な
高貴さと強さを兼備した騎士でございました。どちらかといえば純白な王子貴公子よりも
一癖ある役柄のほうが似合いそうな印象で、来日公演での『スパルタクス』クラッススは誠に期待が高まります。
ジャパンアーツのサイトから辿りご本人の投稿舞台写真一覧を眺めていってみたところ
20年以上前に観た衝撃が今も忘れられぬ、赤の広場特設舞台で踊る
マクシモワとワシリエフの映像で哀愁がしっとりと流れる振付と音楽にすっかり魅せられた
『アニュータ』のパ・ド・ドゥや(パートナーはオブラスツォーワ)や『明るい小川』のバレエダンサー
(シルフィードの衣装着けて自転車に乗る場面でのフィーリンが忘れられないが笑)も経験済みのようで
既に役柄の幅はかなり広いようです。

燃え盛る表現で観客の拍手を攫ったのはアブデラーマンのツヴィルコ。
後にも述べますが何しろグリゴローヴィヂ版でのこの役は名演者タランダで一度観てしまうと
誰が踊っても薄く見えてしまう懸念すら持っておりましたが、ギラリとした視線や粘り気と熱さが共存した踊りで嵐を起こし
うつ伏せ体勢で脚を交互に蹴り上げるようにして横へ横へと移動しながらの跳躍を始めテクニックも炸裂。
他の版と異なりアブデラーマンにも比重が置かれ、スペインや2幕のコーダでも自ら中央に入り率いて
興奮の最高潮へと導く力演でした。ただ単なる悪者ではない人物と映ったのは
ライモンダや伯爵夫人への礼を尽くす所作が深々と美しく、格も持ち合わせていたからこそ。
思えば城に怪しい人物、しかも姪っ子の婚約者の十字軍遠征先の地域からやって来た人物なんぞ
本来ならばドリ伯爵夫人は邪険に扱ってもおかしくはなくすぐさま引き取り願うところなのでしょうが
(そしてこの作品を観るたびに思う、城の警備体制は機能しているのか疑問。そうか働き盛りは十字軍に行ってしまったと結論)
あくまで丁重にもてなすのは一見強面で敵対国の人物であっても
アブさんの人間力(加えて財力やサラセン地域の発達した文化への憧憬も含むかもしれぬが)に惹かれるものが夫人自身もあったものと推察。

また場面は戻ってアブさん初登場は1幕後半の夢の終わり、幻のジャンとの再会後ライモンダが魘される場で
夢から覚めるまでが他版よりも非常に長くつまりはそれだけアブさんがしつこく付き纏う展開のため
余程のダンサーでなければ冗長になってしまいがちなところ。しかしツヴィルコの舞台全体を覆い尽くす勢いと怪しいオーラで席巻し
更にこのときばかりは怯えや不安を募らせていたライモンダとの呼応もあって
終わりかけた夢の最後の最後までを重たく引き摺り、その後ライモンダの目覚めをより鮮やかに感じさせる流れに繋がっていました。

元々バレエ作品の中では最も好きであり、しかもボリショイシネマでは初登場で概ね満足いたしましたが
従来と比較すると、音楽の順序変更や何箇所もの端折りの生じがあり疑問が残った部分も少なからず。
最たる衝撃の1つは1幕の幕開けの壮大なテーマ曲が流れた直後に入っていた吟遊詩人たちの踊りの曲がカットされていた点で
リュートを想起させる(実際の演奏はヴァイオリンであろうが)軽やかな調べで始まり、この部分があるからこそ
中世の宮廷の世界にすっと入り込めると捉えていただけに、テーマ曲の直後に
突如ライモンダの登場曲が響いてきた際には唐突な展開に思えてなりませんでした。
もう1箇所、順番前後して序曲も様変わりしており従来は3幕の前奏曲として演奏されていた
仰々しい曲が(今年の新国立劇場ニューイヤー・バレエでの海賊の前座の如き扱いな短か過ぎるパ・ド・ドゥ使用曲として記憶に新しい)
1幕の前奏曲として演奏。ソ連時代の収録映像の刷り込みはこちらの勝手な事情であるものの
首を長くして待ちわびていた開演のはずが1、2幕は飛ばして3幕のみ上演と錯覚。心がなかなかついていけなかった点は否めませんでした。
そういえば白の貴婦人も登場しなかったがいつから無しになったのか、また3幕ではチャルダッシュとマズルカの順序が入れ替えで
マズルカから開始し、チャルダッシュの後にはすぐフィナーレのギャロップ。
まさかグラン・パ・クラシックの前に披露とは想定外の順序でしたので遡って要調査です。
『ライモンダ』と『スパルタクス』を上演した2012年の来日公演に一度も足を運ばず終いであったのは一生の後悔でございます。

『ライモンダ』の市販映像として日本で最初に出回ったのが恐らくはベスメルトノワとヴァシュチェンコ主演の
1989年収録のグリゴローヴィヂ版と思われ、その後も全幕映像の販売は三大バレエに比較すると到底少なく
動画サイトが普及したとは言えこの映像が刷り込まれている方は多くいらっしゃるかと思います。
私もその1人で、以後2005年ABT来日公演でのアンナ・マリー=ホームズ版における十字軍無しでチャルダッシュが1幕披露の設定や
新国立劇場での牧阿佐美さん版初演時にはプロローグでジャンが出征してしまい1幕のワルツ不在、
日本における全幕初演のカンパニーである牧阿佐美バレエ団のウエストモーランド版での
結婚式でもライモンダが豪華なティアラや装飾を頭に付けていない点(花冠な形)や騎士たちの絵が十字軍の時代よりも近代寄りと思えた点や
日本バレエ協会アリエフ版のお洒落すぎる甲冑やキエフバレエ全幕でのピンクがかった
メルヘンな世界など(現新国立の菅野さんがライモンダのお友達役でご出演)
基準がグリゴローヴィヂ版であるがゆえに気にかかる点がいくつも浮上してしまい、刷り込みの恐ろしさを思い知るばかりです。

ただ情報を容易に入手できる時代になっても強烈な印象が刻まれているのは、キャラクター設定や振付の骨格がしっかりしているからこそ。
これといってドラマ性がない、往年の少女漫画な三角関係、なんぞ言われる作品ですが
(少女漫画といえば帰還後の鉢合わせでアブさんに抱き上げられての連れ去り寸前も、
直後にジャンのもとへと戻るときもライモンダはお姫様抱っこをされている状態。
くるみ割り人形でも最後マーシャは結婚式でマントした王子に飛び込んでお姫様抱っこされる演出で
勇壮な作風の印象があるグリゴロさんは案外乙女心をくすぐる要素もお好きで入れたがるのか、考えが巡ります)
主要男性キャラクターであるジャンとアブさんの両方に重きが置かれているのは重要ポイントであり
例えば2幕ジャンの帰還とライモンダ連れ去り失敗されどめげぬアブさんの対決では決闘まで暫くの時間
両軍の集団戦やら間に入りつつ跳躍対決まであり、大河ドラマや歴史映画での
戦闘シーンに近いものがある印象。男性が豊富且つ雄々しい演出に対応可能な人材が揃うボリショイらしい振付です。
そういえば、『ラ・バヤデール』でもグリゴローヴィヂはニキヤとガムザッティの1幕修羅場にて
跳躍対決の振付を取り入れ、極力舞踊で見せる振付を好むと再確認。

ジャンも最初から勇壮な歩みによる登場で印象付け、1幕の後半まではワルツもライモンダと踊ってしかも
そっと寄り添い別れを惜しむ情感を含ませる見せ場を持たせたのち通常3幕で踊られるヴァリエーションを挿入したり
(グリゴローヴィヂ版3幕でのヴァリエーションは、先月受講した福田一雄さんの講座によれば本来は子供の踊りとして作られた曲らしい)
単なる舞踊の洪水にはとどまらぬ構成となっています。そしてアブさんに焦点を当てて男子の憧れの役として確立させた功績も大きく
先述の通り夢の場の引き際をずっしり怪しい場面とさせてライモンダの怯えをより募らせ
2幕後半では殆ど独壇場。3幕開演前のインタビューでツヴィルコは、生徒時代からタランダが踊るアブデラーマンに憧れていたことや
悪人ではなく愛に生きる人物として捉えていることを饒舌に語る姿から役への愛着が窺え
ひょっとしたら作品中で最たる存在感を示す役柄といっても過言ではないでしょう。
更に2幕では他のバレエ団の追随を許さぬであろうボリショイ自慢のキャラクターダンスがこれでもかと地鳴りの如き力を発揮。
ソ連時代の刷り込みによって改訂版を観た今回唐突に感じた場面もありながら、重厚な歴史舞踊絵巻な
グリゴローヴィヂ版『ライモンダ』待望の映画登場に感激は尽きず。いつの日か現地ボリショイ劇場での鑑賞を再度決意です。

美術は茶色を基調にしつつ写実的で立体感があり、特に回りををカーテンのような波で模した美術は圧巻。
衣装は渋みを効かせ、貴族女性の平たい胸元のカッティングやシンプルであっても
抑えた青や金といった色彩もセンスの良さを感じさせるデザインそして頭飾りも含め
歴史書から飛び出した人々のようです。シモン・ヴィルサラーゼの名前を目にすると
色彩の魔術師の如く派手さはない色味から不思議な光を放つ衣装の数々に、30年以上前から安心感を覚えております管理人でございます。
ボリショイシネマ名物カテリーナ・ノヴィコワさんの複数言語による案内も快調。
客席や準備中の舞台上にて舌が休む間もなく語っていらっしゃいました。
通訳文字起こしもついていけなかったのか、過去にボリショイでライモンダを踊ったダンサー紹介で
グラチョーワやステパネンコだったか、口にしていながら字幕では表示されぬ事態に笑。

ところで両腕を交互に下に向かって振り回すサラセンたちのコーダ冒頭の振付、
1993年のサッカーJリーグ開幕直後からスター選手として活躍し現在も現役選手である
三浦知良さんによるゴール後のパフォーマンスことカズダンスにそっくりであると思った方は5人程度はいらっしゃるであろうと切願。
開幕の頃テレビでヴェルディ川崎(当時)の試合を視聴するたび
舞台を劇場からスタジアムに移してのサラセンダンスに見えて仕方ない、そんな風変わり観戦をしていた管理人でございます。

さて、繰り返しになりますが全幕上演の機会が少ない作品で、もし今春のパリ・オペラ座来日公演にて
来日決定時の発表通りヌレエフ版『ライモンダ』上演であったらならば連日通い詰めていたであろうと想像。
しかし演目が変更となったため見合わせましたが、来年2021年6月には
新国立劇場バレエ団が12年ぶりつまりは干支一回りぶりに全幕再演。
ボリショイとは大分趣異なる繊細で緻密な衣装美術で中世の写本をめくるような色彩美も見どころ、どうぞご来場ください。
少しずつ主役は決まって参りましたが、残りの枠そしてアブさんの発表も心待ちにしております。
初演の2004年に比較すれば格段に男性ダンサーの層が厚くなりましたから
アブさんの見せ場増加の改訂も願います。そしてあのお饅頭の騎士なるジャンの肖像画も描き直しを笑。



新宿TOHOシネマの1階、映画のチケットを見せると特典を受けられます。
管理人はスパークリングワインを無料でいただき、そして焼き牡蠣セット。


※ベスメルトノワとヴァシュチェンコ主演映像はDVD化されており現在も入手可能です。
アップになったときのベスメルトノワのお顔が気合いの入り過ぎた舞台化粧のせいかなかなかの迫力ですが(失礼)色褪せぬ演出です。
そしてツヴィルコ少年も憧れたタランダのアブさんは必見。


さて昨今では当ブログでもしばしば行っている男性ダンサーの髪型観察。
実は私がバレエを観始めて最初に髪型ど突っ込みをしたのが平成突入まもない頃、ジャンを踊るヴァシュチェンコでした。
前髪が盛ったようなボリュームがあり、全体がやや長めの三角形シルエットに
パーマか天然か、映像をまじまじと眺めてしまった記憶は今もございます。
ヴァシュチェンコの映像はその後立て続けにベスメルトノワとの『ジゼル』、
アッラ・ミハリチェンコとの『白鳥の湖』、ボリショイ・バレエ・イン・ロンドンでの
『ショピニアーナ』やリュドミラ・セメニャカとの『ドン・キホーテ』グラン・パ・ド・ドゥなどで観ていながら
ノーブルであるのは分かるのだがさほど印象に残らず(失礼)。
その頃から早30年、昨今における数年に渡っての特定ダンサー猛集中の髪型観察継続は
無尽蔵の魅力が備わりが心から虜になっているからこそとお受け止めください。

2 件のコメント:

あるやらないやら さんのコメント...

物凄く読みごたえがあったのと、読みながらうなづく場面が多く、久しぶりにレポートを堪能しました。
特に、アブさん、ベリャコフ、グリゴロおじさんの絡みが面白かった。
あと、音楽の繋がりについての話しが興味深かった!

管理人 さんのコメント...

あるやらないやら様

こんにちは。季節外れの大雪が降る本日、コメントいただきありがとうございました。
長いだけのまとまりに欠けた内容の記事にも拘らず、ご感想をお寄せいただき大変嬉しく拝読いたしました。
長年上演していれば改訂時に変更も生じるのは十分あり得る事情ながら
音楽のカットや入れ替えは大変衝撃を受けてしまい、馴染むまでまだ時間がかかりそうです。
ベリャコフはこれまでロットバルトやバヤデールのパ・ダクションでは鑑賞しておりますが
遅ればせながら今回をきっかけに注目して参りたいと思っております。
スパルタクスのクラッススはまことに楽しみです。
シネマは見逃してしまいましたが、バヤデールのソロルも似合うでしょうね。
グリゴローヴィヂ作品は男性キャラクターにもしっかり重きを置いて力強く描いている点が好きで
昔からよく観ておりますが、同時に乙女心を掴む演出も作品によっては散りばめられ
(くるみでの王子の現れ方など)作品の面白さの広がりを再確認するここ数年でございます。